↑05.31
01
2019  J1第14節 ガンバ大阪vs鹿島アントラーズ 1△1。
 コメント
2018 [プレビュー]若きガンバが挑む今季初のダービー。敵地で目指すのは勝利のみ
2017  [プレビュー]大阪ダービーで得た手応えを、勝ち点3につなげるのみ。FC東京U-23戦で問われる若きガンバの決定力
2012  宮本恒靖公式サイトのDIARYが更新されました。
 題して「引退試合」。
 7月16日にホームズスタジアムで行なわれるそうです。
 明日がチケット発売日。ヴィッセルシートを狙います。
2007  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「感心」。日本でのオフを数々の便利さとともに楽しんでいる様子が綴られています。
2006  雑誌「Number」654・655・656号の48〜51ページに宮本選手のインタビュー連載「シリアス」第13回が掲載されています。
 題して、「ラストスパート」。
2005  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「ブログ化」。
 日記のページの衣替えと、代表合宿での近況が綴られています。いよいよ、バーレーン戦があさってに迫って来ていますが、とにかく宮本選手にとって、良いコンディションでありますように。ご活躍をお祈りします。
2004  イングランド代表vs日本代表(@シティ・オブ・マンチェスター) 1−1の引き分け。
02
2022
その「応援」が力に。元日本代表宮本恒靖さんと語る日本サッカーとキリンの44年
今では多くの人たちに喜びをもたらす存在になった「サッカー日本代表」。とはいえ、そんな日本のサッカーには、長きにわたる“冬の時代”がありました。

日本サッカーの発展を担ってきたJFAと、まさに冬の時代まっただ中の1978年から日本代表を協賛し続けてきたキリン。そんな両者が共同で、これまでの歩み、そしてサッカーならではパワーをお伝えするnote連載「 #サッカーがつなぐもの 」がスタートしました。

映えある第1回は、長きにわたり日本代表のキャプテンを務め、現在JFA理事(会長補佐、国際委員長)の宮本恒靖さんと、“勝ちT”をはじめ数々のサッカープロモーション企画に携わり、現在はキリンのサッカー関連の責任者、キリンホールディングスブランド戦略部長今村恵三による対談です。

宮本さんは言います。「もしキリンがいてくれなければ、日本サッカーはまったく違うものになっていた」と。

「日本サッカーの発展」と「キリンの応援」の歴史について熱く語り合いました。


【プロフィール】宮本恒靖
1977年生まれ。大阪府出身。同志社大学経済学部卒。1995年にJリーグ・ガンバ大阪とプロ契約。2000年より日本代表に選出。 長きにわたり日本代表のキャプテンを務める。 2013年、日本人元プロ選手として初めてスポーツ学の大学院「FIFAマスター」を修了。2018年から2021年までガンバ大阪の監督を務める。2022年3月よりJFA理事(会長補佐、国際委員長)に就任。

【プロフィール】今村恵三
1993年にキリン・シーグラム株式会社入社。1998年よりキリンビール株式会社営業開発部を経て、2008年よりマーケティング部の『一番搾り』ブランドマネージャーとなり、サッカー日本代表の「勝ちT」や「デザイン缶」などのキャンペーン企画リーダーも担当。ビール類カテゴリーマネージャーを経て2021年よりマーケティング部部長に。2022年3月よりキリンホールディングス株式会社ブランド戦略部長。


目次
冬の時代を経て、Jリーグ開幕
右肩上がりに成長し、最高潮の盛り上がりに
手間を惜しまず実現した伝説キャンペーン
サッカーを通じて人と人をつなぎ、心を笑顔に
キリンチャレンジカップ・キリンカップサッカーが6月に開幕!
冬の時代を経て、Jリーグ開幕

―キリングループがサッカー日本代表の支援を始めたのは、日本サッカーがまだ“冬の時代”だった1978年のことでした。当時のサッカー界は、どんな状況だったのでしょう?

今村:当時はまだプロリーグがなく、野球と比べるとサッカーはマイナーな存在でした。試合をしても、お客さんがほとんど入らない時代が長く続きました。キリンがご支援を始めたのも、当時JFAの専務理事だった故 長沼健さんがキリンビールを訪れた際に、「なかなかサポートしてくれる企業がない…」と陳情されたのがきっかけと聞いています。

また、当時日本サッカーは海外の強いチームとなかなか対戦できず、国際経験の場が不足していました。そこで日本代表の強化を目的に、海外チームを集めて定期的な国際大会として1978年より開催されていたのが「ジャパンカップ」です。キリンは“大会を協賛”として関わってきました。その後、名前を変え、現在の「キリンカップサッカー」や「キリンチャレンジカップ」へとつながっています。

―宮本さんは小学校5年生の時にサッカーを始めたそうですが、きっかけは何でしたか?

宮本:それまでは野球が好きだったんですが、1986年のワールドカップでマラドーナが大活躍するのを見て、自分もサッカーをやってみたいと思って始めました。それと当時人気だったアニメ『キャプテン翼』の影響も大きかったですね。


―当時のサッカー環境は、いかがでしたか?

宮本:今より芝のグラウンドが圧倒的に少なく、練習も試合も土の上でやるのが当たり前でした。だからスライディングなんかをすると、足がズルズルっと擦りむけてしまって(笑)。

サッカーを始めてからは、それこそキリンが協賛する国際試合をよく観るようになったんですが、特に1991年のキリンカップサッカーが印象に残っています。日本代表にはカズ(三浦知良)さんやラモス(瑠偉)さんがいて、イングランドの名門 クラブチーム「トッテナム・ホットスパー」にも圧勝していたのが衝撃でした。

当時はフィールドプレーヤーからゴールキーパーへのバックパスがまだ禁止されておらず、カズさんやラモスさんがボールをゆっくり回し、相手がきたらバックパスしてキーパーがキャッチするという、今ではありえないシーンも普通に見られました。

今村:そして、日本サッカーの発展を語るうえでなんといっても大きかったのが、1993年のJリーグ開幕ですよね。

宮本:間違いありません。開幕セレモニーで川淵三郎チェアマン(当時)が開幕宣言のスピーチをした時、いよいよ新しい時代の幕が開けるんだと感動しました。あの場面は今見ても、心が揺さぶられます。

―子どものころからサッカーをしてきたプレーヤーにとって、Jリーグの開幕はどんな意味がありましたか?

宮本:まだJリーグのなかった中学時代の進路相談では「将来はサッカーの社会人チームでプレーします」と言っていました。それが、プロリーグができたことで、当時高校2年生だった僕は「サッカーが職業になった」と感じるようになりましたね。

右肩上がりに成長し、最高潮の盛り上がりに

今村:1993年というのは、ちょうど私がキリンに入社した年でもあります。私にとってJリーグは、企業色の強かった他の社会人スポーツと違い、各チームがその地域に根ざしてやっていく姿勢を強く感じ、とても新鮮でした。

本当にJリーグの開幕以降、日本のサッカー熱が一気に高まりましたよね。周りのみんなが、どこのチームを応援しているとか、あの選手がすごい、この前の休みの日に観てきたなどなど、サッカーの話を熱く語るようになりました。

そこに1993年10月、日本があとちょっとのところでワールドカップ出場を逃した“ドーハの悲劇”が起こりました。その4年後の1997年11月、苦闘の末に “ジョホールバルの歓喜”で、日本代表は初めてワールドカップに出場。こうしたドラマチックな展開も、多くの人たちをサッカーの虜にしたのかなと。かくいう自分も、本当に熱くなりましたね。

そして宮本さんといえば、2002年のワールドカップ日韓大会ですよね。あのときは、初戦の4日前の練習試合で鼻を骨折されてしまっていましたね…。


宮本:はい、それで急遽フェイスガードを作っていただき、それを着けて出場することになりました。とはいえ、気後れや迷いはなかったですね。たとえ痛かろうが、とにかくやるしかないという気持ちが強かったです。
ちょうどJリーグが開幕して10年目で、この大会で結果が出るかどうかで、今後の日本のサッカーが変わるだろうというプレッシャーや使命感みたいなものがあったんです。

―やはりプレッシャーがかなり大きかったのでしょうか?


宮本:ネガティブなプレッシャーよりも、みんなが期待してくれる中でそれに応えたい前向きな気持ちが強かったですね。その点、自国開催のアドバンテージがすごくありました。日本中の人が応援してくれ、そういう前向きな雰囲気を作ってくださったなと。

それと、チーム内の雰囲気も大きな力になりました。スタメンではなかったゴン(中山雅史)さんや秋田(豊)さんは、試合の翌日とかに練習試合でコンディション調整をしていたんですが、それを彼らは「裏ワールドカップだ」と言ったり(笑)、「いつでも完璧に準備しているから、おまえらが怪我したらすぐ入れるぞ!」といい感じであおってくれて。

そうしたメンバーの空気もあって、チーム全体がすごく一体感を持って大会に臨めました。監督のトルシエも、そういったことまでを見越して選手を選んでいたと思います。

今村:チームの一体感が、観ている私たちにもよく伝わってきました。

宮本:あの大会を含め、1990年代後半から2000年代中頃にかけての日本代表はひたすら右肩上がりに成長していった時代で、それにつれてサッカー人気も最高潮に達した感があります。自分も選手として、かけがえのない経験をさせていただきましたね。

手間を惜しまず実現した伝説キャンペーン

宮本:以降も日本代表はワールドカップに出場し続けますが、2006年グループステージ敗退、2010年ベスト16、2014年グループステージ敗退、2018年ベスト16と、大会ごとに結果が入れ替わる形になりました。親善試合の視聴率も、一時期少し落ち込んだ時期がありましたが、近年はまた盛り返してもいます。そうやって上がり下がりを繰り返しつつも長い目線で見れば、キリンさんの尽力もあり、日本サッカー界は確実に底上げされ続けていると感じます。

今村:海外のチームで奮闘する“海外組”の日本人選手も、20年前に比べると飛躍的に増えましたよね。おっしゃる通り、上がったり下がったりしているように見えつつ、俯瞰してみれば着実に成長し続けているのは、間違いなく日本サッカー界が誇るべきことだと思います。

―そうした日本サッカー界の何十年にもわたる成長をキリンは後押ししてきたわけですが、とくにどんなサポートが大きかったと思いますか?

宮本:選手目線でいえば、まずは試合や練習でキリンの飲み物をたくさん提供いただけることですね(笑)。その場で飲むのはもちろん、部屋にもたくさん持ち帰らせていただきました。また、選手としてキリンとJFAのロゴが入ったユニフォームを着る瞬間は、「代表チームに選ばれたんだな」という実感につながりましたね。

それとなんといっても大きいのは、やはりキリンチャレンジカップやキリンカップサッカーといった、キリンが協賛する強化試合の数々です。2002年大会での躍進も、急にパッと起こったことではなく、それこそキリンが1978年から強化試合を組んでくださってきた歴史の積み重ねで実現したことですし、アンダー世代の代表チームへのサポートを続けていただいたことも非常に大きいと考えています。


宮本:たとえば私が1993年にU-17の代表として海外遠征したときは、2002年のワールドカップを日本に招致するキャンペーン用のワッペンがユニフォームについていました。そうした遠征も、キリンのバックアップで実現したものですし、それが自国開催にもつながっているわけです。

ちなみに私が日本代表としてデビューしたのが、2000年のキリンカップサッカーのボリビア戦でした。すごく暑い6月の横浜国際総合競技場での試合で、後半頭からの途中出場でしたが、選手として新しい大きな一歩を踏み出せた気がして、感慨深かったです。

今村:ありがとうございます。そうした強化試合の協賛に加え、キリンでは1998年ごろから、サッカー日本代表の権利を活用したデザイン商品やキャンペーン展開にも力を入れてきました。たとえば2002年より開始した「勝ちT」キャンペーンです。これは、キリン製品を購入すると複数パターンあるオリジナルの青い応援Tシャツが当たるもので、2002年のときは、「デザインパターン計30種類・合計110万人に当たる」という大規模なキャンペーンとなりました。

こうした企画は、オペレーションの手間などを考慮して最終的には予算が削られてしまうことが多いのですが、勝ちT企画は予算が削られることなく遂行され、当社でも伝説のプロモーションといわれています。実際、ものすごい数の応募もいただきました。サッカー日本代表をサポートしていることを誇りに感じる社員が多いからこそ、実現した企画なのかなとも思います。

私も2008年からこの勝ちTキャンペーンや、缶製品にサッカー日本代表のデザインを施した「サッカー日本代表応援缶」などのプロジェクトに、チームリーダーとして長く関わってきました。

宮本:日本代表にとって貴重な強化の場を生み出し続けてくださったことや、キャンペーンを通してシーンを盛り上げ、ファンの裾野を広げ続けてくださったことには、本当に感謝しかありません。

サッカーを通じて人と人をつなぎ、心を笑顔に

―なぜキリンは、サッカー日本代表を応援し続けるのでしょう? 背景には、どんな想いがありますか?

今村:キリンがサッカーを応援する根底にあるのが、「サッカーを通じて、人を応援したい」という想いです。

サッカーには、誰かと一緒に喜び、心を笑顔にする稀有な力があります。だからこそサッカーを応援し、人がつながれる場面を増やし、できるだけ多くの心を笑顔にしたい。サッカーの熱心なファンから、少し興味を持っている人、そしてこれから興味を持つかもしれない人を含めると、その数は何千万人にも及びます。私たちの活動は、そうした方々の心をどれだけ喜ばせられるかのチャレンジなんです。

実はキリングループ自体が、「よろこびがつなぐ世界へ」というスローガンを掲げています。これを噛みくだけば「よろこびは人や社会をつなぐ根源的な力になる。だからこそ人を励まし、よろこびをつくり、良い連鎖を生んでいこう」といった意味合いになります。

つまりは、サッカーに対するご支援も、キリングループとしての事業も、目指すところは同じなんですよね。


宮本:長年サッカーに携わってきた者として、「サッカーは人をつなげる」というお話に、とても共感します。根本には、サッカーの喜びが、ある特定の瞬間に凝縮されていることがあるのかなと思います。ゴールをはじめとするいくつかの瞬間に、爆発的な喜びがやってくる。ときには鳥肌が立ち、涙腺が緩む。心が揺さぶられ点では芸術作品などにも通じますが、サッカーはそれがある瞬間に突然、ものすごいレベルでやってくるのが特徴です。

日常で思わず声をあげてしまうことって、そうそうないですよね。それがサッカーでは、思わず声をあげてしまうことが起きる。そして、同じ場面を目にした多くの人が、同じ瞬間に、同じように心を揺さぶられる。だからこそ、人と人がつながれるのではないでしょうか。

今村:おっしゃるとおり、あの爆発的な喜びがあるからこそ、ふだん話さない人とも話せるし、ハイタッチやハグだってできるんですよね。

コロナ前は、当社の社員が何百人と集まって、一緒に代表戦を観戦することがよくありました。社員同士ですから、本来は仕事のつながりで集まっているのですが、観ているうちに熱くなり、いつの間にかみんな「素」の飾らない状態で応援している。そうして、役職を超え、話したこともないような人と喜び合い、ハイタッチし、語り合ったりする。そういう場面を見ると、そもそもキリンの社員自体がサッカーを通じてつながり合い、笑顔になっているんだなと実感します。


宮本:お話を聞いていて、キリンさんにはサッカーを通じて一緒に喜び、笑顔になる文化が土壌に染み込んでいることが伝わってきましたし、あらためてサッカー日本代表の「パートナー」の名がふさわしいなと感じました。

スタジアムに閑古鳥が鳴いていた1978年当時から支えてくださり、それが日本サッカーの大きな原動力になってきました。もしキリンさんがいなかったら、日本サッカーはだいぶ違うものになっていたでしょう。そのことを、もっと多くの人に知ってもらいたいと、あらためて思いました。

この先も日本サッカーが、たとえ浮き沈みはあったとしても、これまでと同様、着実に成長していけるように。そして「2050年までにワールドカップを日本で開催し、優勝する」という日本サッカーの夢を実現するために、今後もぜひお力をいただきたいです。


キリンチャレンジカップ・キリンカップサッカーが6月に開幕!
今回の対談でも話題になったキリンが特別協賛する「キリンチャレンジカップ2022」と「キリンカップサッカー2022」が、2022年6月に開催されます。6月6日(月)には、なんと強豪ブラジルとの一戦も控えています。観戦を通してぜひ、サッカーが生み出す「人とのつながり」と「心の笑顔」を体感してください。

・6月2日 (木)キリンチャレンジカップ2022 パラグアイ代表戦
・6月6日 (月)キリンチャレンジカップ2022 ブラジル代表戦
・6月10日 (金)キリンカップサッカー2022 ガーナ代表戦
・6月14日 (火)キリンカップサッカー2022 チリ代表またはチュニジア代表戦
2020 全体練習がスタート。宮本監督が再開初戦までのプランニングを語る
3つのグループ分けで進んだ練習を経て、1日からいよいよチーム全体での練習がスタートしたガンバ。「再び一緒にサッカーができる、チームとしての活動ができるということを皆が喜んでいるようだった」とチーム練習初日を終えた宮本監督も満足感を口にした。
選手個々に外出自粛中のメニューは伝えていたものの「簡単ではない状況の中で選手たちはしっかりとトレーニングしてきてくれた」と宮本監督。

もっとも7月4日の再開初戦に向けて、すでに指揮官の頭の中ではプランニングが進んでいる。
目指すのはフィジカル面の調整と戦術面の再確認。同時進行で進む作業について宮本監督は「二週間後には練習試合を組む。そこでは100%ではないが、8割か9割の状態にして、残りで100%に持っていく。そういう意味では3週目から100%でのトレーニングになる」と話した。

そして指揮官自身も、すでに今季限定のレギュレーションに向けて思いを馳せている。自宅待機中にブンデスリーガなどいち早く再開されているリーグをチェック。今季は5人の交代枠が許される特殊なレギュレーションになるが「すごく難しいんじゃないかと思っている。今までは試合のシミュレーションを3人の交代で考えていたのが5人になる」(宮本監督)。

かつてない日程での戦いは選手だけでなく、宮本監督にとっても未知の領域。だからこそ、7月4日までチームの一体感を高めるのみだ。

定まったリスタートの日。宮本監督と遠藤が意気込み口に

J1リーグの再開が7月4日に決定した。すでに再スタートを切っているガンバだが、具体的なスケジュールが定まったことに宮本監督は「日程が決まって、より(練習の)スケジュールや内容を組み立てることができる」と今後のチームづくりへの思いを口にした。
過密日程が待つ今季の戦いに向けても、まず目指すのは攻撃的な守備。そしてタフな連戦が待ち受けるだけに「それとはまた違う部分にもトライして試合の中で表現したい」とチーム戦術の幅を広げるつもりだ。

再開当初は無観客での試合が濃厚だが指揮官は「我々は何かを表現する立場にあるし、それを表現する場がなかった二ヶ月は寂しさを感じていた。最初はスタジアムで一緒に喜びあえないかもしれないけど、ガンバを通して色々なものを伝えたいし、また一緒に戦える日が来るのを楽しみにしています」とサポーターとの共闘の日々を待ちわびている。

そして7月4日の再開初戦にJリーグ史に残る大記録達成が待つのが遠藤だ。単独でのJ1最多記録更新に王手をかけている背番号7だが活動休止中に意識していたのは「しっかりと体調管理をすること。そして、出来れば早くサッカーをしたいなという気持ちでいた」。

再開初戦でピッチに立てば楢崎氏とのタイ記録を抜いて単独での大記録達成となるが遠藤は「非常に光栄に思っているけど、チームの勝利のためにプレーしたい」とキッパリ。
そして背番号7もサポーターに向けて「またスタジアムで会えることを楽しみにしています。それまで僕らはいいプレーをし続けて、これからもサポーターと一緒にいい試合を作っていけるようにしたい」とメッセージを送った。
2018  J3第12節 セレッソ大阪U−23vsガンバ大阪U−23 1△1。
 コメント
2016  宮本さんのインタビューがJFAの公式サイトに掲載されています。
 題して、「キリンカップミュージアム スペシャルインタビュー Vol.4 宮本恒靖 ターニングポイントになる大会〜多くの注目を集める中で〜」。
2014  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 23:50〜24:10
 すぽると! 長谷部誠選手とのキャプテン対談前編
 お疲れ様です。
2010  宮本選手が、今日、右足首を手術だそうです。
 2月の札幌とのPSMの際に捻挫で痛めた右足首に「遊離軟骨」ができてしまい、ロングフィードを蹴ると痛みを感じるとのことで、手術台に上るのは嫌だけれども、手術ですっきりするなら、と言うことで、7月17日のW杯中断明けの復帰を目標に今日の手術に踏み切ったそうです。
 スポーツ報知によれば、「遊離軟骨とは軟骨下の骨組織に壊死が起こり、正常な組織と分離し形成された遊離体が痛みを起こすもの」だそうで、先週の磐田戦まで、宮本選手は痛み止めを打ちながらプレーを続けていたそうです。
 手術の成功と順調なリハビリを心からお祈り申し上げます。
2008  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「みっちり」。炎天下で毎日2時間ずつ、普通に練習しているそうです。あんよが心配な僕としては、ホッとしています。
2006  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「Bonn」。
 W杯を前にしてのドイツ合宿からの近況報告と、呼びかけが綴られています。
 とにかく、良いコンディションで過ごせることをお祈りします。
2005  雑誌「Number」629号。特集「決戦。Germany will be mine!」に、宮本選手の記事が掲載されています。
 まず、38〜41ページには、「直前レポート1 キャプテンの胸算用」と言うタイトルの記事が掲載されています。5月某日の共同記者会見の宮本選手の姿がベースになっています。
 また、56〜62ページには、[DFライン再検証]として、「「3」と「4」 その先の視点へ 宮本恒靖×信藤健仁×都並敏史×三浦俊也」と言うタイトルの記事が掲載されています。
2003  6月8日と11日に開催のキリンカップの日本代表として、宮本選手が選出されました。
 宮本選手、おめでとうございます。
 引き続き、合宿の毎日となるのでしょうが、良いコンディションでありますように。
2000  題して「ちょっと遅いけど」。
みんな元気ですか?
BBSは覗いててんけど、オフ中ということもあり、書き込みを自粛していました。
なんでやねん。←自分つっこみ。
たまにはみんなに心配かけてみたかってん。
ところで、新しいBBSはどう?
みんな戸惑ってるみたいやけど、おれも慣れるまでがんばるわ。
03
2025






adidas HQ@Herzogenaurach
UEFA CL決勝@Munich
UEFA Friendship Cup@Nyon Switzerland
#アディダスドイツ本社 #広いから自転車移動 #60年前のスパイク #psg #intermilan #u18日本代表
2020 ― GAMBAISMを支えた男たち ― ガンバの枠組みを超えたスター、宮本恒靖

1998年Jリーグ2ndステージ第13節横浜マリノス戦

2002年Jリーグ2ndすてーじ第14節京都パープルサンガ戦

2005年Jリーグ第34節川崎フロンターレ戦
天は二物を与えず、というが、ガンバが生んだ生え抜きのスターは全てを兼ね備えた希代の名手だった。
日本中が熱狂の渦に巻き込まれた2002年のワールドカップ日韓大会で人気がブレーク。「ツネ様」の愛称で知られる宮本恒靖は、クラブ生え抜きのスターである。

ガンバユースの第一期生としてプロ契約。ガンバユースのみならず、世代別代表でもキャプテンを務めた宮本は、文武両道を地で行く男でもあった。
派手なテクニックは見せなかったが「止めて、蹴る」というガンバアカデミーのDNAを叩き込まれた宮本は、ボランチや最終ラインの一角でチームを統率する。

ガンバが奇跡の逆転優勝を果たした2005年のJ1最終節。川崎相手に2点目を奪った宮本は、攻守で存在感を発揮。そして、タイムアップの瞬間には端正な顔をくしゃくしゃにして、歓喜の涙に咽んでいた。
「僕はユースから、ガンバにいる。そういう歴史、十数年、ガンバの名前を背負ってきて初めてタイトルを取れたことをうれしく思うし、下部組織にも大きな夢を与えることが出来た」。
喜びの中にも、ガンバ育ちのプライドをにじませた宮本は、日本代表でもキャプテンシーを発揮。「ツネ様」はガンバの枠組みを超え、日本サッカー界の顔でもあり続けた。

そんな男が、指揮官としてもガンバを救う。2度目の降格危機に喘いでいた2018シーズンの7月、クルピ監督の後任としてトップチームの監督に就任。その時に口にしたのは「青い血はもちろん、ある」。
一見、キザに聞こえる言葉も、嫌味がないのが「ツネ様」ならでは。若き指揮官は監督としてもガンバで一時代を築くつもりだ。
2019 【G大阪】スタメン抜擢のFW食野が鹿島戦でゴール! 若手が台頭する一方で宮本監督の頭を悩ます問題は?
「ゴール前までボールを運んでも、そこからのクオリティが足りない」
[J1リーグ14節]G大阪1-1鹿島/6月1日(土)/パナスタ
 
 若手の積極起用路線に切り替えて3試合目。3バックにすることで守備を安定させ、1日の鹿島戦を終えて、路線変更後1勝2分けの勝点5を上積みしたことは、決してネガティブな要素ではない。鹿島戦では20歳のFW食野亮太郎が昨年4月14日・長崎戦以来のスタメンで1得点。MF高江麗央、MF福田湧矢、DF高尾瑠らに続く“新戦力”の台頭も明るい材料だろう。ただ若手の勢いを持ってしても、いまだ改善できないポイントがある。
 
 得点力不足。3月30日の神戸戦以降はリーグ戦9試合連続で複数得点が生まれていない。
 
 その理由はさまざまだ。ひとつは宮本恒靖監督が言う「ゴール前までボールを運んでも、そこからのクオリティが足りない」こと。もうひとつは劣勢時に流れを変えきれないこと。そして、まだフィニッシュへのアイデアが全体として共有できないことなどが挙げられる。
 
 スコアレスドローだった前節・札幌戦の反省を受けて、この1週間は「厚みのある攻撃」「縦パスを入れる回数の増幅」「遅攻と速攻のメリハリ」を重点的にトレーニングしてきた。FWアデミウソンとFWファン・ウィジョの2トップは個の力が優れているゆえに、ふたりだけで攻撃を仕掛けてしまい、単発に終わってしまうことが多かった(もちろん、それで得点になればOKなのだが……)。そこにクサビ役になれる食野を起用することで3つの改善点を一気に解消しようとしたのだろう。

 前半は狙い通りだった。だが後半、鹿島守備陣が食野と中盤の間のスペースを消すことで最前線の起点を作らせないような対策を講じると、そこからの打開策は見出せなかった。結果、押し込まれる時間が続き、攻撃も単発になってしまうシーンが散見した。こういう時に選手交代などの手を打ってほしいところだが、なかなか勝点が付いてこない現状では、指揮官も動きづらいのかもしれない。
 
 国際Aマッチウィークのため、鹿島戦後は2週間空く。MF遠藤保仁に代わって司令塔役を任されているMF矢島慎也は「この3試合は良くもないけど悪くもない結果。ビルドアップの工夫、最後の質のところを上げないと、この先苦しくなる。でもピッチ内でも“ああしてほしい”“こうした方が良い”という声は出ている」と強い危機感と互いに要求し合える関係性ができつつあることを口にした。リーグ中断は最高のタイミングと言って良い。3試合で計1失点の堅守をキープしつつ、どう攻撃のパターンを増やし、質を上げていくか。これは次節・磐田戦での、ひとつの焦点になる。
2018 [レビュー]若きガンバが執念のドロー。白井の一撃で引き分けに持ち込む
2017  J3第11節 FC東京U−23vsG大阪U−23 1●0。
 コメント

 [レビュー]2度の決定機で甘さ。ガンバ大阪U-23が同世代対決で惜敗喫する
2014  学生を応援するフリーマガジン「MAG!」2013秋号に掲載された宮本さんのインタビューが、今週WEB公開されました。
2012  宮本さん、今日の出演録。
 NHKBS1 18:00〜21:50 W杯アジア地区最終予選 日本vsオマーンにゲスト出演。
 NHK総合 22:00〜22:50 サンデースポーツ。
 お疲れ様です。
2010  ヴィッセル神戸の公式サイトの「最新情報」によれば、宮本選手の昨日の手術は、無事終了したそうです。よかったよかった。

 ところで、2002年のインパクトをもう一度/W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(前編)が掲載されています。
 宮本選手が最初に目にした86年大会、実際に出場した日韓02年大会、そして、招致アンバサダーとして活躍なさっている22年大会に関する思い出や思いが語られています。
2009  ナビ杯予選 柏vs神戸 3−0。でもまだ、決勝トーナメント進出のチャンスは残っています。

宮本恒靖選手
結果としては残念な結果でした。前半から内容がよかったのですが、どうしてもこの試合をモノにするという気持ちが足りなかったのかなと思います。もちろん、みんなモノにしようという気持ちで戦っていたと思いますが、練習でやってきたサイドチェンジやポジショニングを高めることをピッチ上で出すことが出来ませんでした。やってきたことを、勇気を持ってピッチ上でやることが必要だと思います。
(失点シーンについて)
ビデオを見てみないと詳しくは分かりませんが、マークをしっかりすることやクロスを簡単に上げさせないことなど、みんなで修正していきたいと思います。
(残り2試合はホームでの戦いです)
ホームとアウェイでサッカーが変わることを早く克服しないといけません。ホームで勝つことはもちろん大事だけど、アウェイでも同じサッカーが出来るようにならないと。
2005  W杯アジア地区最終予選 バーレーン代表vs日本代表 0−1で日本代表の完封勝ち!
 宮本選手、蒸し暑い陽気の中を本当にお疲れ様でした!
2003  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「白シャツ」。
 代表合宿の話題、そして、学生時代のエピソードを綴っておられます。
 そう言えば以前、「一度は大阪で代表合宿を経験してみたい」と綴っていらっしゃったこともあったのですが、大阪でなくすぐ近くの神戸で過ごしていらっしゃるようです。
 日に日に暑くなっていますが、体調に気をつけて頑張って下さい!
04
2015  宮本さんが「Number879」の66〜67ページを飾っています。
 スイスの時計ブランドであるブヘラの広告で、腕時計をした宮本さんが非常にかっこ良く写っています。
2012  宮本さん、今日の出演録。
 WOWOWプライム 18:55〜19:50 ザ・プライムショー。
 お疲れ様です。
2010  昨日に続き、元キャプテンが語る2006年の蹉跌/W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(後編)が掲載されています。
 06年のドイツ大会から4年経った今だから語れるインタビューが掲載されています。
2009  雑誌「Number」730号の76〜79ページに宮本選手のインタビュー連載「シリアス�V」第25回が掲載されています。
 題して、「ホームタウン」。
2006  丸の内
2005  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「嬉々」。
 日本時間のけさ未明(現地時間で昨夜)のバーレーン戦に関して、とにかくうれしさとホッとした気持ちが伝わってくる内容です。
2003  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「GALLERY」が更新されています。
 今回は、代表合宿での3枚で、特に、楢崎選手と一緒のスナップ写真が楽しいです。
2002  2002FIFAワールドカップTM1stラウンド 日本代表vsベルギー代表 2−2

 チケット購入申込書(もちろん抽選前提)を手に入れたのが、去年の暮れのこと。1試合だけ申し込めたのですが、僕は、宮本選手を間違いなく拝見できるはずで、しかも東京近隣開催のこの試合を申し込んでました。でもまさか当選するとは・・・!
 一般のJリーグや代表戦との違いはスタンドにも。食品・飲料の売店がオフィシャルスポンサーの商品だらけでした。しかも、高い!(笑) 場内はもちろん満員。僕はバックスタンドの「北ゲートC3-308ブロック37列59番」にどっかと腰を下ろしました。ちなみにチケットには僕の名前が印刷されています。まぁ、転売防止のための策なのでしょうが、でもこれだけでも記念になります。

 さて、試合前。スタジアム到着したての宮本選手は、他の数名の選手と一緒に、ピッチを観察に登場しました。これだけでも今日の目的は果たされました!
 試合前のアップでは、ウワサのフェイスガードを着用。宮本選手は控えでしたが、試合開始直後、控え席から立ち上がり、ピッチの様子をじっと確認している様子でした。
 試合前、ちょっと戸惑ったのが選手発表。いつも慣れ親しんでいる試合では、ポジション別に選手が発表されますが、このワールドカップの場では、とりあえずGKを発表したあとの残りの10人は背番号順に発表。ポジションの発表もなし。僕の「記録のファイル」では、ExcelVBAでの入力の際にポジションを入れるのを前提としてため、ちょっとあわてました。

 後半になり、試合を横目に僕はアップ中の宮本選手をちらちらと。するとある時、ふと顔を上げ強い目力になり、アップの場から姿を消しました。あれれ???
 あとからビデオを見ると、その時、森岡選手は大変なことに。痛々しくピッチに座り込んでしまっていました。
 あわただしく森岡選手から受け取ったキャプテンマークをつけ、ピッチに姿を現したのが宮本選手。良かった、選手としての宮本選手もこの一世一代の場で確認することができました。黒いフェイスガードをつけていたので、見つけやすかったです(笑)。もちろん、フラット3の真ん中に位置していました。
 試合後は、ベルギーの選手たちとユニ交換を行なったのですが、蒸し暑かったからか上半身裸の首に巻くように赤いユニを身につけてました。

 東急東横店
2001  題して「A型」。
キャンプではいい感じで体を鍛えられよ。
最終日のフィジカル練習も思ったほどでもなかったしね。
試合までの日数を考えるとあんまり体に負荷をかけすぎると
回復するのに時間がかかるから、今回のキャンプは少し抑え気味やったみたい。
宿舎も3年前の時よりも良くて、最近のお客さんの入りが良いからちゃうかななんて
みんなで推論してた。
ちょっとベッドが柔らかくて寝にくかったくらい。A型っぽいとこを発揮してしまった。
 
明日のオフがあけたら来週は試合が2つ入ってるねん。
その2つでもう少し戦術的な部分を確認していくわ。自分の体のフィット感も含めてね。
05
2023 駄菓子屋を偶然見つけた週末
クッピーラムネ好きやったな
#なんでも10円 #心が躍る #お買い上げは90円 #やったのにおまけひとつくれた #ほっこりした昼下がり #宮本恒靖
2014  「ZONE WEB」に宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「宮本恒靖×戸田和幸 W杯出場選手が語る「W杯のミカタ」」。
2011  ナビスコカップ 横浜F・マリノスvsヴィッセル神戸
 →撮影写真
2010  宮本選手の初著書「主将論」が、幻冬舎新書「みー4−1」として、今日2010年6月5日第1刷発行としてリリースされました。
 ISBN978-4-344-98172-0 760円+税です。

 2005年のTBS系のテレビ番組「情熱大陸」で、宮本選手が生涯2度目の特集をされた際、(当時2歳の長男・恒凜ちゃんが宮本選手に「とんたん!」と語りかける場面をまず思い出しますが、)宮本選手がパソコンに向かって熱心に日記をつけている場面も放送していました。この本は、そんな宮本選手の日記の集大成と感じました。
 宮本選手はご自身のことをよく「気にしい」と語っておられますが、でも、そんな宮本選手だからこそ築けた内容に感じます。本の裏表紙の紹介文と重なりますが、「粘り強い対話」、そして「献身的リーダー」であったことをあれこれと思い出させてくれる内容です。
2000  題して「1stステージを振り返って」。
セレッソが優勝するんかなって思ってたけど、
最後の最後でドラマがあったね。ほんま分からへんね、勝負は。
1つ勝つことがほんまに簡単じゃないってことを、
このステージでは痛感した。
 
ガンバは出だしをつまずいてしまって最初の6試合で2分け4敗。
初勝利の後は5勝4敗。雨の国立で東京に勝って初白星を挙げた
わけやけど、あの試合のロスタイムは長かったわ。
5分表示やったから。
あの試合では、それまでもやもやしていたもの、つっかえてたものが
外されたみたいに皆の動きが快適やった。うまく東京のカウンターも
防げたしね。
 
振り返れば、惜しい試合、勝てたんとちゃうかなって思う試合は
いくつもある。それを勝っていれば・・・って気持ちになれへんように
2ndは波をなくした試合をしていかなあかん。
セレッソに勝っていい感じやのに、次のジェフ戦には全く違うチーム
みたいなサッカーをしたり。アビスパに4−0で勝った後やのに
横浜でみっともない試合をしてしまったり。シーズン前から波のない
チームにしていきたいと思ってたけど、その辺はまだまだ。
 
俺自身は、何かしっくりいってないなぁーってずっと考えながら
プレーしてた。それは体の動き、柔軟性、判断力、感覚、いろんな
ものやけど、肉弾戦なんかは頭は足を出せって指令を出してるのに
足が動かなくて、ワンツーを決められたり、次の神戸戦では、
河錫舟のドリブルのボールを奪ってちょっと自分でボールを
ドリブルしてもち上がろうとしたけど、すぐに奪い返されたり。
自分のイメージするプレーができへんかったからイライラしてた。
 
でも最近は、残り4試合くらいからかな、とてもスムーズに
足の運びができたり、体の寄せができたりしてきた。
だから2ndステージではもっといいプレーができるんとちゃうかなって
自分自身に期待してる。
 
チームの順位も上に行かなあかんし。その為には序盤戦でしっかり
勝ち星を挙げていくことが大切やね。
5日から1週間ガンバの合宿。そこでしっかり調整して2ndに備えるわ。

もひとつ題して「新しいBBSについて」。
みんなの新しいBBSについての書き込み読んでるよ。
中には厳しい意見もあるね。
一つの話題について深く話せたり、他の話題について話したい人は
そっちに顔を出してくれれば良かったりするわけで
めっちゃ変わったような気がするけど、みんなのコメントも
見やすく使いやすくなっていくはずやから、慣れていってくれへんかなぁ。
かくいう俺もまだまだ慣れてへんねんけどね。
これからもみんなの意見を参考に、少しずつ使いやすいものに
していくつもりやからよろしくね。


さらにもひとつ題して「健康的生活」。
いやー始まったよ。宮崎五ヶ瀬町合宿が。
空港から2時間弱バスに乗って、
去年来た時より早く着いたような気がした。
気がしたってのはなんでかっていうと、
爆睡状態やったから。
昨日の夜見てしまったからね。
やっぱり気になるから見てしまったわ。
いい試合やったんとちゃうかな。
でもそんな簡単には勝たせてくれへんね。
そんなわけで五ヶ瀬に着いてからの昼寝時間も
もちろん爆睡やった。
最初の練習は3時半からやってんけど、
焦げる系の暑さやったで。
でもそれが夜になると、
めっちゃ寒くなるねん。今は長袖着てるし。
風邪には注意するわ。
明日からまた午前練習、昼寝して
午後練習、その後温泉の健康的生活になるわ。そろそろ寝ます。

06
2024 【ホットピ!〜HotTopic〜】日本サッカーの新たな未来に向けて〜宮本恒靖JFA会長

この国でサッカーをもっと大きな存在にするために
3月23日、日本サッカー協会(JFA)の第15代会長に就任した宮本恒靖会長に、日本サッカーへの思いや抱負を聞きました。

※このインタビューは2024年4月25日に実施しました。

サッカーへの変わらない思い
もっと日本にサッカーを根付かせたい
――3月23日にJFA会長に就任され、あらためて会長というお立場をどう受け止めてらっしゃいますか。

宮本 いろいろなことを把握して決断しなければならない立場にありますので、その責任の大きさをあらためて感じていますし、身の引き締まる思いです。ただ、会長と呼ばれることがあまり好きではなくて、JFAの皆さんにもあまり会長って呼ばないで、と伝えているんです(笑)。それぞれ立場や役割が異なったとしても、サッカーに対する思いや目指そうとしているところは同じ。JFAの皆さん、そしてサッカーファミリーの皆さんとの垣根はつくらず、フラットでオープンな関係を築いていきたいと考えています。

――日本サッカーという大きなものを動かしていく上で、大切にしたい信念やポリシーはありますか。

宮本 自分自身の軸にあるのは、「この国においてサッカーをもっと大きな存在にしたい」ということです。JFA会長に立候補した大きな理由も、この言葉を実現させたいと思ったからです。

――2012年7月、引退試合のセレモニーで語られていた言葉です。そう思われるようになったきっかけは何だったのでしょうか。

宮本 選手時代も指導者時代もいろいろな場面で思ってきましたが、思いを強くしたのは2002年のFIFAワールドカップですね。私自身、日本代表としてピッチに立ち、特にロシア戦でワールドカップ初勝利を挙げたときにピッチから見たスタジアムの光景は、今でも忘れられません。たくさんの人々が一緒に喜んでくれて、涙を流してくれて、大きな声援を送ってくれて、文字通りスタジアムが沸き起こっているあの光景。スタジアムだけでなく、街中でも日本代表のユニフォームを着た多くの人たちがハイタッチをして喜んでくれている。ワールドカップという一大イベントが、普段はサッカーを見ないような人たちをも巻き込み、日本中が沸き立っているその様子を見たとき、「この光景が当たり前にある日本にしたいな」と思いました。
――まさにサッカーの力を体感されたと。

宮本 そうです。サッカーには、人々を熱狂させたり、喜ばせたり、勇気づけたり、人と人をつなぐといった大きな力があります。そうしたサッカーの持つ力は、社会においても大きな価値があると思うんですね。

FIFAマスター(※)では、民族間の紛争が起こっている地域で、サッカーというスポーツを通じて子どもたちが学ぶことで民族融和と多民族共栄を図れないかという研究をしていました。そうやっていろいろと見て学ぶ中でも社会で必要とされるサッカーの価値は強く感じてきたところです。

※FIFAマスター:国際サッカー連盟(FIFA)と国際スポーツ研究機関(CIES)が主宰する修士課程。国際的なスポーツ機関で働く人材養成を目的に2000年に開設。

みんなで目指す世界をつくっていきたい
――今回の役員改選を見据えてJFAの組織改革も行われました。理事会は「監視・監督」と「政策形成(ポリシーメイキング)」を行う場となり、業務執行権は技術委員会、女子委員会、審判委員会の委員長、もしくは事務総長に委譲されます。これに伴い、理事の人数は27名から15名に大幅縮小となりました。

宮本 理事には、フットボールをはじめとして、事業戦略やマーケティング、マネジメント、ガバナンスといった領域で専門性や経験を生かしてもらいたい方々を選任しました。理事会の規模もかなりコンパクトになりましたので、皆さんにはそれぞれの強みや知見を持ち寄っていただき、より有意義で建設的な議論ができる会議体にしたいと思っています。各種委員会や地域・都道府県サッカー協会とも連携しながら組織を機能させ、みんなで日本サッカーをより良くしていけるよう進めていきます。
――日本サッカーの継続した発展には、強化、育成、普及などあらゆる事業を推し進めていく必要があります。優先事項としてはいかがでしょうか。

宮本 もう、これはほんとに全てです(笑)。全てのことを推し進めていかなければなりません。その上で大事にしていることが二つあります。一つは「JFA2005年宣言」の実現を目指すということ、もう一つは「強い代表チームであり続ける」ということです。

2005年宣言にある「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」というJFAの理念は、全ての事業に通じるものです。この理念の実現を目指すことが、私自身の信念である「この国においてサッカーをもっと大きな存在にしたい」を実現することにもつながると思っています。そして、SAMURAI BLUE(日本代表)はワールドカップで過去最高順位を、なでしこジャパン(日本女子代表)では再び世界一になることを目指します。そのためにも育成年代からの継続した強化や指導者養成、そして普及事業といった全ての分野を充実させていくことが欠かせません。
――最後にサッカーファミリーにメッセージをお願いします。

宮本 Japan’s Wayでは、世界一サッカーで幸せな国になることを目指しています。そのためには、「競技としてのサッカー」と「参加する、楽しむサッカー」の二つのピラミッドを充実させることが重要です。皆さんがもっとサッカーを自由に楽しめる世界をつくっていきたい。サッカーがもっともっと大きなものになっている世界を、日本でつくっていきたい。本気でそう思っています。これは決して自分一人でできることではありません。皆さんと一緒になって、そういう世界を、そして新しい時代をつくっていきたいと思っています。

「サッカーの力を信じているからこそ、その価値を日本の社会やスポーツ界、
サッカー界で存分に発揮させられるように取り組んでいきたい」と宮本会長(写真は3月23日の就任会見より)
2014  宮本さんがサンスポにコラムを寄せていらっしゃいます。
 題して、「【C組対戦国FILE】ギリシャ 日本の鋭いパス交換で堅守崩せ」。
2013  ネスレの宮本さんのコラムが更新されました。題して「FIFA」。FIFAを見学後、FIFAの職員とマスター生とで試合があったそうですが、そこにはキャプテンマークをつけた背番号5の宮本さんの姿があったそうです。見たかったなぁ・・・。
2010  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「6月」。
 季節の話題がたっぷりですが、それにしても術後の経過が順調なのは、本当に何よりです。
 1日も早いご快癒を。どうぞお大事に!
2005  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「バンコク」。
 練習風景が目に浮かんでくる内容なのですが、それにしても、すんごい雨が連日降っている様子です。
2004  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「シティ・オブ・マンチェスター」。
 既に、日本代表は、9日のW杯アジア地区予選の対インド戦を前にした国内合宿が始まっています。今回の「DIARY」では、対イングランド戦について、そして、帰国後の第一印象などが綴られています。
 とにかく暑い毎日ですが、からだに気をつけてトレーニングを頑張って下さい! 
2003  FIFAコンフェデレーションズカップ2003の日本代表メンバーが発表され、宮本選手はキリンカップに続いて選出されました。
 宮本選手、おめでとうございます。
 短期間に予選リーグ・決勝トーナメントと試合が続き、7月になるとすぐにガンバでのカップ戦やリーグ戦が待っているわけですが、健康と体調に気をつけて頑張って下さい!

 また、「FOOTBALL Nippon VOL.3」の108〜117ページに宮本選手のインタビューが掲載されています。
 題して、「宮本恒靖物語」。
2000
2000.6.6.19.52
2回目登場の木場さん。もう一人新井場との3人部屋やねん。
 題して「トラック」。
今日も朝から練習。
毎日午前中はフィジカル練習やって。
陸上のトラックを使ってやるねん。
久しぶりにトラックを走ったわ。
試合の時に競技場のトラックを良く横切るけど、
ラインに沿って走るのは久しぶりやった。
各ポジションによって設定タイムが違ってて
3段階に分かれてて、
センターバックは1番楽なタイムやってん。
でもそれなりに頑張って走ったよ。
中盤とサイドの選手が1番きつそうやった。
で、昼からは戦術練習。
その時にこっちの温室みかんを宮崎県から
差し入れしてもらってんけど、
それがうまくて5個も食べてしまった。
もちろん一気とちゃうで。
でもほんまにうまい。
明日もいっぱい食べたるねん。

07
2017  負けるな日本! 歴代サッカー代表選手のキャラ立ちヘア、ビフォア→アフターを調査
2014  雑誌「steady.」の7月号に宮本さんのインタビューが掲載されています。
 記事は題して、「サッカーワールドカップにわか入門」。サッカー初心者を宮本さんがナビしていらっしゃいます。
2010  雑誌「Number」805号の16〜17ページに宮本選手のインタビューが掲載されています。
 題して、「宮本恒靖が見たオマーン戦」。6月3日に行なわれたW杯アジア地区最終予選オマーン戦(3−0で勝利)の観戦録です。
2009  ナビ杯予選リーグ ヴィッセルvsエスパルス 1−2。残念ながら、予選リーグでの敗退が決まりました。

宮本恒靖選手
まず前半の早い段階で点が取れたし、試合の内容もよく、全体的に良いことが多い試合だったと思います。しかし何かが足りないです。その何かというのは、おそらく自分たちがもっとシビアに流れを積極的につくれていないことです。シビアに「流れを逃してはいけない」という意識が数人ではなく、何人もの選手たちが持つべきです。2点目の失点もヨンセンの経験がいかされたレーでした。あの時点で彼が完全に点を取る流れを持っていったこと。うちは残り10分という段階からもう少しリスクをかけてプレーしようという流れをつくろうとしたが、結果的に決められてしまいました。どの時点でさらに攻撃していくかを数人だけしか考えていない状況では上位にはいけないと思います。もっと相手がイヤな感じのプレースタイルをつくっていきながら、積極的なシュートシーンがない限り点には結びつきません。今日ホムスタに来て応援してくださったファン・サポーターの皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。次の試合は自分たちのプライドにもかけて必ず勝ちに行きます。
2005  けさの朝日新聞(朝刊19ページ)のコラム「挑戦 ジーコ・ジャパンを語る」の見出しは、「王手 世界で一番早く決める」も大切」です。バーレーン戦を勝ったからこそ、気持ちを引き締めている様子が伝わってきます。
2001  題して「おく」。
水曜の練習試合は雨で中止になってしまった。
楽しみにしててんけど、グラウンドのコンディションを考えた結果らしいわ。
確かに雨の日に育ちつつある芝生でやるのは
まずいことやねんけど、
皮肉にも練習が始まる頃には雨も上がってしまってたよ。
 
最近の練習では3バックも4バックもやるねんけど、
久しぶりに3バックをやると戸惑うこともあるし、うまくイメージ通りにできへんこともある。
代表のやり方とはまた違うから、なかなか3バックも奥が深いと感じてるところ。
試合でうまくこなせてるところをみんなに見せれるように頑張るよ。
2000  題して「声援」。
今日もキャンプ日誌つけるわ。
またまた朝から走ったよ。
今朝は長距離じゃなくてサーキット系ね。
少し説明すると、
コーンをいっぱい並べてそれを
クリアしていくってやつやねん。
吐きそうになるくらいにみんな頑張って走ってたよ。
練習の途中で幼稚園児が見学にやって来て、
「お兄ちゃん達が面白そうにくるくる回ったり、飛んだりして遊んでるわー」
っていう目で俺らの練習を見ててん。
それにはちょっと苦笑いしたけど、
「がんばれー。」っていう声援もくれたりして
かなり場が和んだよ。
終わってからみんなと記念撮影をして
バイバイをしてんけど、その時
「大自然の中でたくましく育てよ」って思った。
父親でもないのに父親の気分やね。
08
2017 [プレビュー]個の上積みを結果につなげたい北九州戦。ホーム無敗の難敵に問われるチームの成長。北九州戦では個の上積みを結果につなげたい
2016  ボスニア・ヘルッツェゴビナのVIPが吹田Sを訪ねたそうです。
2015  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 24:10〜24:40
 すぽると!
 お疲れ様です。
2012  宮本さん、今日の出演録。
 NHKBS1 18:00〜21:50 W杯アジア地区最終予選 日本vsヨルダンにゲスト出演。
 お疲れ様です。
2005  W杯アジア地区最終予選。日本が世界で一番最初に本戦出場を決めました。
 宮本選手、おめでとうございます! そして、お疲れ様です。
 朝鮮民主主義人民共和国代表vs日本代表 0−2で日本代表の勝利!
2004  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「GALLERY」が更新されています。
 映画や童話の中のような世界に宮本選手がたたずんでいて、それがまたとても絵になる2枚です。
 さて、明日はインド戦。宮本選手のご活躍と、日本代表の勝利を心からお祈りします、頑張って下さい!
2000  題して「いきなり」。
えーっと報告します。
今日も2回練習やったよ。
朝は走り、昼からボール。これ、今回の基本パターンね。
それが走りの時はがんがん晴れてたのにな、
午後の練習からいきなり雨が降ってきてん。
恵みの雨かと思いきや、めちゃめちゃ
降ってきて、寒いくらいやった。
昨日までの日差しで火照った肌が
この雨で冷やされた感じがする。
明日も続くねんて。
しかもかなりきついらしいわ。
ちゃんと天気予報でチェックしといたから。
さ、いまからリバウド見るわ。

09
2018 [プレビュー]若きガンバがホームで仕切り直し。堅守の福島をこじ開けたい

【インタビュー】宮本恒靖「いろいろな世界大会の中でもワールドカップは別物」【前編】・「積み重ねを生かせてこそ勝利につなげていける」【後編】
≪ジュニアユース≫ 「日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会 関西大会」 2次ラウンド試合結果 vsソレステレージャ奈良

2018年6月9日10:00 第33回 日本クラブユースサッカー選手権(U−15)大会関西大会 2次ラウンド 
ガンバ大阪ジュニアユースvsSOLESTRELLA NARA 2002 J−GREEN堺 S15
ガンバ大阪ジュニアユース 0 27 32 36 38 45 47 48 51 59 70
GK 1・永田 健人 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 3・小林 柾輝 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ OUT − − −
28・南野 遥海 − − − − − − − IN ○ ○ ○
DF 12・安井 凌羽 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 13・栗原 優弥 ○ ○ ○ ○ 得点 ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 22・矢野 翔大 ○ ○ ○ OUT − − − − − − −
5・土井 結介 − − − IN ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 8・大西 裕大 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ OUT − − −
19・鈴木 大翔 − − − − − − − IN ○ ○ ○
MF 20・西村 和弘 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 23・宮本 恒凜 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 30・高橋 隆大 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 得点 ○ ○
FW 15・佐野 貴都 ○ ○ 得点 ○ ○ 得点 ○ ○ ○ 得点 ○
FW 18・幡司 凜央 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
− − − − − − − − − − − −
SUB GK・21・森脇 勇人
SUB MF・08・平川 拓斗
SUB MF・07・浅野 直希
SUB MF・11・溝口 響
SUB MF・14・三木 仁太
SUB MF・24・鈴木 章斗
SOLESTRELLA NARA 2002 0 27 32 36 38 45 47 48 51 59 70
GK 1・桑田 朋和 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 2・中山 岳志 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 3・長岡 唯人 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 4・石川 照晃 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
DF 6・美甘 悠真 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 5・政岡 勇成 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 7・林 潤星 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 8・百地 海人 ○ ○ ○ OUT − − − − − − −
14・永田 貴大 − − − IN ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 10・古結 優希 ○ 得点 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
MF 11・新開 逸生 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
FW 9・喜多 俊介 ○ ○ ○ ○ ○ ○ OUT − − − −
13・宮元 優人 − − − − − − IN ○ ○ ○ ○
− − − − − − − − − − − −
SUB GK・16・河合 亮
SUB GK・21・木下 旭
SUB DF・12・木村 将吾
SUB DF・15・西岡 優悟
SUB DF・22・上田 颯真
SUB MF・17・岩崎 尚太
SUB FW・18・枡田 琉
主審:黒川 健吾
副審:宇田 祥也 山藤 智士
4審:下柳田 雄太
ガンバ大阪ジュニアユース 合計 SOLESTRELLA NARA 2002
5 得点 1
9 シュート 2
2 CK 3
8 FK 10
0 イエロー 0
0 レッド 0
天候:晴れ 観衆:100人

グループリーグ突破が決まった状況で迎えた3戦目。メンバーを前節とは大きく変え、首位通過を目指し挑む相手はソレステレージャ奈良。
立ち上がりから攻め込みたいガンバ大阪だが、思う様にボールを動かせずゴールを生み出せない。
すると前半27分に相手CKから勢い持って合わせられ、先制を許してしまう。
しかし、その4分後、西村の背後への飛び出しから佐野が中央でうまく合わせ同点ゴールをあげる。
後半に入り、優位にボールを運べる様になったガンバ大阪は、38分に左サイドを突破した栗原が自らゴール左隅に突き刺し逆転に成功する。
攻撃の手を緩めないガンバ大阪。
44分佐野、51分��橋が追加点をあげる。
最後は佐野がハットトリックとなるゴールを決めて試合終了。

予選リーグを全勝で突破。
明日、関西大会 3次ラウンド1回戦に挑む。
6月10日(日)10:00 Jグリーン堺S16 vs宇治FC
2016  Sportivaのサイトに宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「レベルはW杯以上。宮本恒靖のユーロ2016注目国は「オーストリア」」。
2014  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 23:50〜24:20
 すぽると! 長谷部誠選手とのキャプテン対談後編
 お疲れ様です。
2012  宮本さんがABC朝日放送25時からの「虎バン」に出演し、矢野耀大さんとリーダー論について語り合ったそうです。
2006  ワールドカップ開幕の今日、宮本選手のオフィシャルウェブサイトがリニューアルしました。サイト名は「宮本恒靖公式サイト」。サイト名はシンプルですが、ロゴがなかなかかっこいいです。
 新たに、「MOVIE」のページが開設されていて、宮本選手のメッセージやCM動画を楽しむことができます。
 また、「GALLERY」のページが更新されていて、丸ビルのフットボールミュージアムでのスナップ写真を見ることができます。

 さて、日本代表の初戦は、来週月曜12日。良いコンディションで、当日を迎えられますように。
2005  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「祝!」。
 もちろん、昨夜のW杯最終予選突破のうれしさがひしひしと伝わってくる内容です。

 また、コンフェデ杯の日本代表として、宮本選手が選出されました。宮本選手、おめでとうございます。頑張って下さい!
2004  宮本選手のオフィシャルウェブサイト「Tsune's Street since1977」の「Q&A」が更新されています。
 試合に臨む時の気持ちを垣間見ることのできる内容です。

 さて。
 W杯アジア地区1次予選 日本代表vsインド代表 7−0。宮本選手は、60分間の出場でした。
2002  2002FIFAワールドカップTM1stラウンド 日本代表vsロシア代表 1−0
2000  題して「最後の夜」。
昨日のリバウドは短すぎへん?
えっもう終わり?って部屋のみんなで顔を見合わせてしまった。
今晩は最後やから温泉を楽しんでしまった。
俺の部屋3人とたけさん、大谷通訳、
中村コーチで。
話題はフィジカルトレーニングについて。
結構深い話になったから、
のぼせ気味やし、このカキコもいつもより遅くなってしまった。
明日は午前中に練習をしてキャンプを打ち上げて大阪に帰るよ。

10
2018  J3第13節 ガンバ大阪U−23vs福島ユナイテッドFC 1△1。
 コメント
2017  J3第12節 北九州vsガンバ大阪U−23 1●2。
 コメント
2016  Sportivaのサイトに宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「サッカー人生を変えるユーロ2016。宮本恒靖の注目は「この5人」」。

 ところで、昨日、宮本さんが大阪大学で講演をなさったそうです。
2014 デイリースポーツ紙より

>FIFA研究グループに宮本恒靖氏

>【サンパウロ共同】国際サッカー連盟(FIFA)は9日、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で全64試合を分析し、報告書を作成する技術研究グループのメンバー13人を発表し、元日本代表DF宮本恒靖氏が入った。
>
研究グループはフランス代表やリバプール(イングランド)を率いた経験を持つジェラール・ウリエ氏らの指導者や、宮本氏や元ナイジェリア代表のサンデー・オリセー氏といった元選手らで構成。作成した報告書は強化や育成の指針として、FIFAの加盟協会に配布される。
2010  宮本選手の今日の出演録。
 18:30〜19:00 Nスタ(TBS)
 19:00〜20:54 2010FIFAワールドカップ開幕前夜祭(TBS)
 22:54〜23:45 NEWS23クロス(TBS)
・・・お疲れ様でした。
2008  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「Wien」。「選手」としても含めて、仕事の報告が綴られています。
2007  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「ひととおり」。7日のイベント、8日のガンバ練習場のことが綴られています。
 早くかわいい赤ちゃんが産まれますように。
2006  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「釘」。
 開幕日の合宿の様子が綴られています。宮本選手の登場まで、あと2日。楽しみです。頑張って下さい!

 渋谷駅
2005  「週刊サッカーダイジェスト」7月20日号増刊が発売されました。全編が「ワールドカップに賭ける夢」と題した特集号ですが、93〜95ページには、「ツネと腕章と声と夢」と題した宮本選手の記事が載っています。
 93ページの写真はおそらく、10年前のガンバ入団当時の物でしょう。ちょっとしたヒストリー物として楽しめる内容です。
2003  雑誌「FOOTBALL Nippon」vol.3 2003夏号の表紙を宮本選手が飾っています。
 また、「親と子で読む写真絵本」と言う連載(108〜117ページ)で、「宮本恒靖物語」として、宮本選手の生い立ちから今日までが掲載されています。
 奇をてらわない平易な文章ですが、宮本選手の人となり、そして、サッカー選手としてのずっしりと重みのある経歴を写真からも見ることができます。
2000  題して「無事」。
帰りの飛行機は揺れたけど、無事に大阪に帰ってきたよ。
最後の練習も今までと変わらずハードなものやった。
これだけやったんやからっていう良い意味での
自信をみんなが持てば
セカンドステージで走り負けすることはないん
とちゃうかな。
最後に一本締めでキャンプを打ち上げた。
開幕までもう2週間やからね。
これからピッチを上げていかなね。
明日は待望のオフ。
↓06.11