キャプテン・宮本恒靖が語った本音。最強世代で惨敗、ドイツW杯の真相【日本代表平成の激闘史】
時代は平成から令和へと代わり、その間、ワールドカップに6回連続出場を果たすなど、日本代表は大きな躍進を遂げた。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい日本代表名勝負を振り返る本企画。今回は平成18(2006)年に行われた、ドイツワールドカップでの日本代表の戦いを回顧する。
期待された8強入り

中田英寿(左)と宮本恒靖
伏兵・トルコに敗れ、ベスト16止まりに終わった平成14(2002)年日韓ワールドカップの日本代表。しかし、当時25歳の中田英寿や22歳の小野伸二や稲本潤一、中田浩二ら20代前半の選手たちがメンバーの多数を占めていたため、次のドイツ大会の8強入りが大いに期待された。
さらなる高みを目指す日本サッカー協会は、日韓大会で成功を収めたセネガルのブルーノ・メツ監督、あるいは4年前のフランス大会で母国を優勝へと導いたエメ・ジャケ監督らの次期監督招聘を目論んだが、交渉は難航。川淵三郎会長の「ジーコには聞いたの?」の一声で、ジーコに落ち着いた経緯がある。
ブラジル代表で黄金の中盤を形成し、常勝軍団・鹿島アントラーズの基盤を作った彼の日本サッカーへの貢献度は、疑う余地がなかった。ただ、この時点ではプロチームの監督を務めた経験がなかった。そこを疑問視する声はほとんどなかったが、時間を追うごとに懸念が広がっていく。
アジア予選では体調が万全でない柳沢敦や中村俊輔ら欧州組を優先して起用したり、ケガで長期離脱していた中田英寿の復帰と同時にシステム変更に踏み切って失敗。代表合宿中の練習も戦術的要素が少なく、シュートやミニゲーム、高校生との練習試合が中心で、選手からも不安の声がたびたび聞こえてきた。
こうした中、チームは紆余曲折を強いられたが、何とか本大会切符を獲得し、平成18(2006)年5月にはメンバー23人が決定。福島・Jヴィレッジで1次合宿をスタートさせた。
「統一感を保つのが容易ではなかった」

オーストラリア戦に臨む日本代表
しかし、公開練習が続いたため、福島には連日1万人を超えるファンが押し寄せ、選手たちは集中を保つのが難しくなった。ベースキャンプ地のドイツ・ボン入り後も単調な日々が続く。
キャプテン・宮本恒靖は「福島・ボンを通じて非公開練習がほぼなく、報道陣から毎日囲まれる人とそうでない人にバラつきが出て、チームの統一感を保つのが容易ではなかった」と後に語ったが、最高の準備ができたとは言い切れない状況だったのは確かだ。
もう1つ、難しかったのがコンディション調整だ。5月末から6月初旬にかけては真冬のような寒さで、日本代表は十分な暑さ対策ができなかった。この時期のドイツとのテストマッチで勝利寸前まで行ったことで、チームに過信も生まれた。
「ピーキングが早すぎた」という反省もあったが、この大会の日本代表はドイツ戦を境に調子を落とし、本番を迎えることになってしまったのだ。
初戦・オーストラリア戦は6月12日。キックオフ時の気温は35度に迫る猛暑で、ピッチ上の体感温度は40度に達する過酷な環境。暑熱対策をしなかった日本は前半こそ中村俊輔のラッキーなゴールで先制したものの、後半になって徐々に足が止まっていく。
そこに追い打ちをかけたのが、坪井慶介の負傷退場だった。代役に指名された茂庭照幸は追加招集で状態が万全でなく、連係も完成されていなかった。このアクシデントは日本に重くのしかかった。
敵将、フース・ヒディング監督はこの期を逃さなかった。ティム・ケイヒル、ジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイ―ジといった切り札を次々と投入し、パワープレーを仕掛けたのだ。
苦境に立つ日本
日本も中盤を落ち着かせるため後半34分に柳沢敦に代えて小野伸二を送り出したが、役割が中途半端になってしまう。結果的に守備陣は耐えきれず、残り6分間の状況でロングスローからケイヒルに得点を許し、完全に集中が切れた。
この後ケイヒルとアロイ―ジに追加点を奪われ、終わってみれば、1-3の逆転負け。これはショックが大きすぎて、小野を筆頭に大半の選手がミックスゾーンを素通りしていった。
18日の第2戦・クロアチア戦は絶対に勝ち点が必要になった。ドイツ戦で負傷した加地亮が復帰し、ボランチには福西崇史に代わって小笠原満男が先発。しかし重苦しい立ち上がりを強いられた。
前半21分には宮本がPKを献上したが、これを守護神・川口能活がセーブし希望をつないだ。この試合最大の決定機だったのは後半6分。加地からの絶妙なクロスをフリーで飛び込んだ柳沢が決めきれない。いわゆる「QBK(急にボールが来たから)」と呼ばれる決定的シュートを逃したことで、日本は1点を奪えず、スコアレスドローで終了。
グループ最下位となった日本が生き残るためには、22日のブラジル戦で2点差以上の勝利が必要になった。
迎えたドルトムント本拠地、ジグナル・イドゥナ・パルクでの最終決戦。ジーコは巻誠一郎、玉田圭司を2トップで先発起用するなどスタメンを大幅に変えた。主将の宮本は累積警告で出場停止。キャプテンマークは中澤佑二が巻いた。
福西崇史の後悔
フレッシュな日本は前半34分に先制点を挙げる。稲本潤一が起点となり、三都主アレサンドロが送ったラストパスを受けたのが玉田だった。彼が得意な左45度の位置からシュートを突き刺し、前回大会の世界王者を震撼させた。
これが「奇跡」の始まりになればよかったのだが、ブラジルはこの後、一気にギアを入れる。前半終了間際のロナウドの同点弾を皮切りに、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、ジウベルト・シウバ、ロナウドが立て続けにゴール。日本は1-4であっけなく沈んだ。
試合後、中田英寿がピッチに倒れて動かなった。チーム全体でサポーターに挨拶に行こうしているのに、彼だけは動かない。「ヒデも一緒に挨拶した方がいい。起こして来いよ」と福西に言われた宮本が歩み寄ったが、彼は誘いを断り、仲間とともに行動することはなかった。
「代表での実績が足りないこともあって、ヒデに何か言う時はいつもツネに頼んでいた。そういう姿勢が間違っていたのかもしれない」と福西も悔やんだが、ジーコジャパンのラストは後味の悪いものになってしまった。
中田と中村の重用など、ジーコのチームマネジメントへの違和感、ワールドカップ期間中の練習と報道のあり方の問題、ベースキャンプ地の選定ミス、サポートメンバー帯同不備など、ドイツ大会で露呈された課題は少なくなかった。
その反省が後々に生かされ、その後のワールドカップの準備や戦い方、チームマネジメントへと生かされていったのは確かだろう。中田や中村、小野、稲本ら最高のタレントが揃ったチームだっただけに、日本サッカー界として悔やまれる部分が少なくないが、ドイツでの失敗が糧になったことだけは今一度、認識しなければいけない点だろう。
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