↑12.10
11
2017  宮本さんが、「HEROs AWARD」の大賞を受賞なさったそうです。
 →宮本さんのコメント
 →HEROs AWARD 2017 宮本恒靖「マリモスト〜小さな橋〜」
2016  宮本さん、本日の出演録。
 WOWOWライブ 4:30〜7:00
 リーガ・エスパニョーラ第15節 R・マドリードvsデポルティーボのハーフタイム企画
 「宮本恒靖のテクニカルリポート #3」
 今回は、先週行なわれたクラシコを取り上げました。
 お疲れ様です。

 高円宮杯U-18プレミアリーグWEST ガンバ大阪ユースvsヴィッセル神戸U-18 1●3。
2007  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「串」。連勝について、また、チームのクリスマスパーティについて綴られています。恒凜ちゃんもパーティーを楽しんだ様子が伝わってきます。
2005  Jリーグ優勝報告会が万博記念競技場で行なわれました。
 開門は13時でしたが、さっそく3日の川崎フロンターレ戦をG-VISIONで放映。
 15時に、優勝記念カップを持ったシジクレイ主将を先頭に、選手全員と西野監督が入場。30分間のインタビューを交えてのセレモニーの後、僕の座っているメインスタンドを背景に選手全員と西野監督が記念撮影。そして、選手全員はゴール裏の前に移動し、特設ステージに立って、ゴール裏のサポーターとビールかけを行なっていました。少々寒かったですが、でも、宮本選手や選手のみなさんの晴れやかな笑顔がいっぱいの楽しいイベントでした。
 →撮影写真
2003  月刊誌「MEN'S CLUB」2004年の新年1月号の表紙を宮本選手が飾っています。
 また、「Footballer in Style」として、宮本選手の「知よく蛮を制す」と題したカラーグラビア&インタビューが、183〜187ページに掲載されています。
 読み応えたっぷりのインタビューもファンとしてうれしい内容ですが、もうひとつつうれしいのが、「編集後記」的なカメラマンの感想。「あらゆる仕事に紳士的」。ページのあちこちからも、そんな雰囲気が伝わってきます。
2000
2000.12.11.10.04
アランの家に行った。
レイアはこの間1歳になったよ。
12
2017  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 19:00〜21:24
 東アジアE−1選手権 第2戦 日本vs中国

 フジテレビ 24:10〜24:55
 THE NEWS α
 お疲れ様です。
2009  「MIYAMOTO FUTSAL PARK」が、丸井錦糸町店に続き、日比谷シティにもオープンしたそうです。
 錦糸町同様、大勢の子どもたちが集まりますように。
2006  朝日新聞朝刊のサッカー面に、宮本選手のインタビューが掲載されています。
 題して「宮本恒靖に聞く(上)W杯の3戦」。
 見出しタイトルのとおり、今年のW杯の予選リーグ3試合を宮本選手なりに回顧しています。なお、19日に続編とのことです。
2005  宮本選手のオフィシャルウエブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「アラウージョ」。
 取材攻勢に、優勝報告会に、本当にお疲れ様です・・・。
2003  宮本選手のオフィシャルウエブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「一緒に…」。
 内容はもちろん、東アジア選手権を戦い終えての感想と近況が綴られています。
 それにしても、1日たってから感じる痛みって、戦い終えて緊張感から解放されてから感じるだけに、一層痛さもすごかったりして・・・。改めて、サッカーと言うスポーツの迫力が伝わってくる内容です。
2000  宮本キャプテン、「走った」そうです。
 今日のところは「走る」と「歩く」の繰り返しだったそうですが、うれしい知らせです。

 一日も早く、良くなることをお祈り申し上げます。

 題して6位入賞」。
Desporterの仲間の皆川賢太郎くんが、イタリアで開かれている
ワールドカップのスラロームで6位入賞してんて。
おめでとう!パチパチパチ。
賢太郎くん自身、今までで最高の成績やねんて。
みんなもよかったらおめでとうメッセージを
彼のBBSに書き込んどいたって。
 
今日はグランドを4週走った。1週走って半周歩いてって感じやねんけど、
明日はたぶん連続して走る予定やねん。

1999  天皇杯3回戦 ガンバ大阪vs大宮アルディージャ 1−0でガンバの勝ち。
13
2018  雑誌「サッカーダイジェスト」12月27日号の38〜42ページに宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「青と黒の魂を焦がして111days」。
 やっぱり宮本さんはかっこいい!!!!!
2017
2011  11月22日に引き続き、デイリースポーツの8ページ「キッズデイリー」に、「ヴィッセル神戸が教えるサッカー上達法」が連載されていますが、今日の紙面は、「宮本恒靖選手「DFから始まる攻撃」」の特集です。宮本選手が、(1)まずはDFの裏をつけ、(2)次にFWに楔のパス、(3)それでもダメならSBの位置確認を、とわかりやすく説いています。そのための「フィードの精度」との結論です。
2006  「週刊プロレス」12月27日号。
 「プロレス・サッカー異色対談」と銘打って、「サッカー×プロレス特別越境対談 蝶野正洋×宮本恒靖」がカラーグラビアの55〜57ページに掲載されています。
 蝶野選手がサッカー少年だったそうで、非常にスムースな話の運び方に、「プロレス誌」と言うことを忘れさせられてしまいました。
 ところで、この対談のあった日は、ガンバのファンクラブのイベント当日だったようですが、さて、プロレスラーを招待したいきさつが・・・謎・・・(笑)。
2004  昨日の天皇杯5回戦(対横浜FC)を欠場した宮本選手ですが、「右ハムストリングス筋膜炎」と言う診断により、日本代表としての16日の対ドイツ代表戦も欠場となるそうです。
 宮本選手、どうぞお大事に。とにかくしっかりと治して下さい。
2001  題して「つぼ」。
こないだの試合は5−0でDFとしてはすごく楽な試合になったね。
でも前半始まってすぐ位に相手に後ろから蹴られてしまって
それがつぼにはまった感じで痛くて痛くて。
今日になっても少し残ってるから
別メニューでやってるねん。
でも日に日に痛みは引いていってるから
日曜の試合は出れると思ってるよ。
 
鳥取での試合やねんけど2年前もマリノスとやって雪の降る中での試合やってん。
めっちゃ寒かったのを覚えてるわ。
天気予報はこれから週末にかけて日本海側は厳しい寒さとなりますとか言ってる・・・
鳥取ってめっちゃ日本海側やんなぁ。

14
2014  昨日、三冠を決めたガンバ大阪に対して、宮本さんが朝日新聞にお祝いのインタビューを受けていらっしゃいます。

 宮本さん、本日の出演録。
 WOWOWライブ 26:50〜28:57
 リーガ・エスパニョーラ 第15節 A・マドリードvsビジャレアル
 お疲れ様です。
2013  NHKラジオテキスト「英会話タイムトライアル」1月号に宮本さんのインタビューの後編が掲載されています。
 アジアカップ2004 ヨルダン戦での主審へのアピールの内容が綴られていて、本文にぐいぐいと引き込まれました。
2006  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「だめだし」。
 昨日、母校の生野高校で、講演会が行なわれたそうですが、その時の様子が垣間見える内容です。

 また、雑誌「Number」668号の103〜105ページに宮本選手のインタビュー連載「シリアス�U」第15回が掲載されています。
 題して、「ラストゲーム」。
2003  天皇杯3回戦 ガンバ大阪vsコンサドーレ札幌 3−1でガンバの逆転勝ち。
 チームの底力の差が、後半に出た感じの試合でした。ガンバが1点差を追いかける展開になりましたが、追いついて逆転し、突き放しての勝利でした。
 東アジア選手権を戦い終えての宮本選手も、90分間のフル出場でした。何より勝てて、ホッとなさったことと思います。
2000  Number512の30〜36ページに[特別座談会]宮本恒靖×吉原宏太×稲本潤一「大阪から世界へ」。が掲載されています。宮本選手は、大阪にあるガンバ大阪で、「もっとマスコミが扱ってくれたら」と訴えていらっしゃいます。
1999
99.12.14.12.18
アウォーズ帰りの新幹線。イナ爆睡中。
 Number486−487に宮本選手と稲本選手の対談が載っています。題して、「1999を観る」。
15
2023 1994.12.24 Jユースカップ決勝 
ガンバユース3-2ヴェルディユース@平塚競技場
川淵キャプテンからトロフィーを受け取ったのは29年前のこと
今回、JFAで色々な経験を話してもらいました
#川淵三郎キャプテン #懐かしい #時代を感じるサイズ感 #JFAの理念を大切に #色んなトライをすべし #播戸竜二 #宮本恒靖

2020 明日の横浜FC戦に向けて #宮本恒靖 監督の前日コメントをお届けします

宮本監督「リーグ戦も残り試合が少なくなってきて、最終順位2位を目指してみんなが戦っている。選手たちの集中力も増してきているように思います。」

宮本監督「(シーズン終盤の重要な局面で大事になってくることは?)よりシンプルに目の前の練習であったり試合、対戦相手や自分の対面する相手にどのように勝つのか、上回るのかを考えることが大事になってくると思います。」

[プレビュー]残されたミッションは2勝。横浜FCに勝ちきり、自力で2位を掴みに行く
2018 マリモストプロジェクト発起人である宮本恒靖理事のインタビューがゲーテWEBに掲載されています。
2014  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 23:50〜24:10
 すぽると!
 お疲れ様です。
2007  SKプンティガーマー・シュトゥルム・グラーツvsFCレッドブル・ザルツブルク 1−1の引き分け。
2002  天皇杯第3回戦 ガンバ大阪 vs HondaFC 3−1でガンバ大阪の勝利!
 宮本選手は、後半0分からの出場でした。それにしても、なかなか骨のある相手だったです。
 今回は昨年同様にメインスタンドもバックスタンドも全て自由席と言うこともあり、メインのアウェー側には地元の浜松から大型バスを連ねての応援団が多数陣取って、お揃いの応援を続けていました。
 天皇杯予選って、Jのチームにとってみれば、普段全く戦ったことのない相手を当たることも少なくないわけで、さぞ戦いづらかったことと思います。
2001  JALの国内線時刻表の2・3月号の表紙を、11月のキリンチャレンジのスターティングイレブンの写真が飾っています。
 もちろん、キャプテンマークをつけた背番号「17」の宮本選手がしっかりと映っています。
 来月になれば、あちこちの駅や旅行会社でも入手しやすくなるでしょうが、でもなんだか、感無量です。
 とにかく、うれしい!
2000  宮本キャプテンに関する2冊を。

 「Number」512号(12月28日号、文芸春秋、520円)
 宮本キャプテンと稲本選手と吉原選手との対談です。
 ガンバ大阪でのキャプテンとしての発言はもちろんのこと、聞き役に回って、2選手の発言を引き出す「話力」は、やはり、さすがです。
 
 「キャプテン 宮本恒靖が見た五輪代表」(小学館、1300円)
 佐藤俊氏の著による宮本キャプテンの「半生記」とも言える一冊です。細かな内容をここにご紹介することは控えておきますが、とにかく、宮本キャプテンの言葉とともに、五輪出場までの道のりを振り返ることができます。
 人間としての宮本キャプテンに対する尊敬を、いっそう深めることのできた本です。


 題して「ゴンゴンゴンゴン・・・」。
今日は肉離れがどの程度治ってるかを
調べるために、MRIを撮りに行ってきた。
撮ってる間、横になって筒状の所に入るねんけど、
あれってほんまに耳障り。
「ゴンゴン」やったり「ビンビン」やったり。
うとうと眠くなってきたと思ったら、その音がしてゆっくり寝てられへん。
と、思ってたら寝れたけど。
結果は怪我した当初は見られてた出血も
見られへんようになってるから順調に回復してるって。
それを聞いて安心したわ。
チームはけが人が多くて厳しい状況やけど、
なんとか勝ってもらって、俺も天皇杯に出たいね。

16
2023  橋本英郎さん引退試合

2020  J1第33節 横浜FCvsガンバ大阪 0○2。
 コメント
2015  「マリモスト」のクラウドファンディングが11月4日にスタートしましたが、昨夜15日の23時59分をもって終了しました。
 当初の目標額は150万円でしたが、最終的には、目標額の200%にあたる300万円が集まりました。
 宮本さん、良かったですね。

2013  宮本さん、本日の出演録。
 フジテレビ 23:55〜24:35 「すぽると!」
 お疲れ様です。
2012 CWC決勝を前に
2008  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「10数年ぶり」。恒凜ちゃんのかわいらしいスキースーツ姿の写真が見られます。親子ともども、楽しめた様子が綴られています。
2007  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「中断」。年内の公式戦も全部終了し、近々、大阪に戻られるのでしょう。休み中、いろいろ楽しみな計画がある様子です。
2004  宮本選手のオフィシャルウエブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「存在」。宮本選手の存在感自体、相当大きいものです。
 足の具合は、順調に回復している様子です。
2003  週刊サッカーマガジン12月30日号。
 東アジア選手権の特集記事が多数掲載されていますが、その中で「守って攻めて」と題して、宮本選手が特集されています。
 カラーグラビアの86〜89ページに、韓国代表アン・ジョンファン選手からボールを奪うシーンの連続写真や、晴れやかなスマイルの写真とともに、韓国戦を振り返るインタビューを中心とした記事が載っています。
2002  宮本選手のオフィシャルウエブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「復帰戦」。
 昨日、約2か月ぶりの実戦となった天皇杯3回戦(vs Honda FC)の感想が綴られています。
 試合内容は厳しかったものの、後半45分間を戦い抜いたことが、次の試合につながることをお祈りしております。

ところで、コラム。題して「7連勝」


 みなさん、こんにちは。今回はセリエAの上位対決ユヴェントス対ラツィオ戦を選びました。前節、リーグ戦で初黒星を喫したホームのユヴェントスに対し、ラツィオはここまでアウェイで6連勝中です。デッレ・アルピでもその連勝は続くのでしょうか。この驚異的な強さの要因は何なのかを探ってみました。

 ラツィオは、前節ハットトリックを決めた好調のクラウディオ・ロペスのスピードを生かしたカウンター攻撃を仕掛けるために、しっかりと守備を固める作戦に出ました。全員の守備に対する意識が高く、時にはフォワードのコッラーディまでもが自軍に戻って守備をするシーンも見られました。そして、ユーヴェの選手にプレスをかける時に味方同士がいい距離でポジションをとっているため、ボールを奪える可能性が高いのと同時に、近くに味方がいるので奪ったボールを預けてすぐに攻撃に移ることができました。これが鋭いカウンター攻撃につながっています。さらにそこに個人の強さが加味されています。特に2得点を挙げたフィオーレの充実ぶりは素晴らしく、目を見張るものがありました。右サイドでボールを落ち着かせることができますし、思い切ったシュートからゴールを奪ってチームをリードしていました。一時期は調子を落としていましたが、再び代表でプレーする日も近いのではないでしょうか。

 試合終盤になっても集中力を切らすことなく、ペナルティエリア付近に8人近くが下がってユーヴェの攻撃をしのぎ、2対1で逃げ切りました。シーズン前にネスタやクレスポを放出したことで、戦力の低下が心配されたラツィオでしたが、勝利を重ねることでチームに自信とまとまりが生まれているという印象を受けました。

 日本の今シーズンのサッカーカレンダーはあと2週間程で終わりますが、ヨーロッパはこれから中盤戦を迎えます。すばらしい試合をたくさん見たいものですね。それでは、また次回。

12月16日 宮本恒靖


→次回
2001  天皇杯4回戦 G大阪vs新潟 1−0でガンバの完封勝ち!
 キックオフが13時、開門が11時の試合のため、前日の15日に鳥取に着いてました。しかし、中国道での車両火災で吹田〜西宮北間の大渋滞で、大阪(弁天町)からの高速バスも鳥取に50分遅れで到着し、しかもその直後に突風とともに雪で手荒い歓迎を受けてしまった心境でした。昨夜は話のタネに鳥取砂丘へも行ってみましたが、終バス(18時発の鳥取駅行き)を気にしながらのしかも真っ暗な風景に、風と波の轟音だけが怖いくらいに響き渡ってました。

 さて、今日の試合。昨日はところどころに残っていた雪も、朝からの晴れ間ですっかりと融けてしまいましたが、遠くの山々の雪化粧に、「日本海側」って実感を感じました。

 前半は攻撃し切れない感じでした。でも、後半のワンチャンスで1点を先制したあとは、正直、負ける気がしませんでした。完封勝ちで何よりでしたし、とにかく連休の丸亀の試合には行きたかったので、うれしい勝利でした。
 先週の水戸は、力任せに押し込んでくるのをかわしながら、結局は攻撃力の差での勝利でした。
 今回は、じっとパスを繋ぎながらチャンスを掴んで、あとはしっかり守り抜くと言う、先週とはまた違った勝ち方をできたように感じました。
 トーナメント戦ですから、勝ち上がるごとに欲が出てくるものですが、でも、元日に宮本選手やガンバを国立で応援したいものです。
 そのためにも、クリスマスイブも粘り強く頑張って下さい!
17
2023  中村俊輔さん引退試合


2005  天皇杯5回戦 ガンバ大阪vs柏レイソル 5−3。
 宮本選手は後半82分までの出場でした。
2004  雑誌「ストライカーデラックスVol.5」に、宮本選手のインタビューが掲載されています。
 「揺るぎない自信を胸に」と言うタイトルで、96〜99ページをカラーで飾っています。
 今年1年間のW杯第一次予選を戦っての印象や、ガンバ大阪での宮本選手なりの取り組み方など、読み応えたっぷりの内容です。
 また、本文に引き続いての100〜101ページは、「adidas」に関する宮本選手のインタビュー広告で、宮本選手の「サッカー史」を垣間見ることができます。
2002  サッカーダイジェスト12月31日号。表紙が宮本選手のアップです。青空を背にガンバのエンブレムのウェア姿が決まっています。
 そして、「2002年を語ろう。」と言うインタビューにも5ページ立てで登場しています。
 つい先日までのリハビリ中のこと、W杯以後の人気やメディアへの登場のこと、そして、今年のガンバの強さなど、いつもながらにわかりやすく広い視点で語っています。
 ふと、ケガを乗り越えた時、スポーツ選手って一層の強さを身につけるものなのだなぁ、と思った次第です。
2001  題して「2年後は・・・」。
こんな遅めに書き込むのは久しぶり。
でも今日は勝った報告をしとこうと思ってね。
 
昨日の鳥取はめっちゃ寒かってんけど
今日はそうでもなくて助かったわ。
2年前にあそこで試合をした時は寒くて体が動かんかったから。
そしてその試合の後にヘルニアの手術をしようと決めてんなぁ。
帰りのバスの中で。
そんなことを思い出しながら鳥取から帰ってきたよ。
 
試合のことを少し。
新潟は少し引き気味で試合を運んでて、
カウンターを狙ってた。
たしかに前半はシュートで終われへんかったから
何度か嫌な形での逆襲を食らってんけど
後半になるとシュートの意識が出てきたから
得点の予感があったというわけ。
1−0って結果だけ見たら辛勝やけど、
トーナメントは勝つことが第一やっていう共通意識が今はあるから。
次の試合が山になりそうやね。

2000  天皇杯4回戦 ガンバvsレイソル 1−1 10PK9 でガンバの勝利!
 先週同様に、ネットを繋ぎっぱなしで、ガンバのHPで途中経過をリロードしながらの応援でした。
 先制を許しながらも、後半にビタウ選手の同点ゴール。
 延長前半、後半も同点のままで、PK戦に。ビタウ選手が延長前半にイエロー2枚で退場になり、10人となりながらの同点キープに、まずは拍手を贈りたい気持ちでした。
 そして、PK戦。都築選手のファインセーブが再三見られたそうです。(映像で見たかった。。。)
 
 ケガ人が多く、リハビリ中の宮本キャプテンのほか、ダンブリー選手や新井場選手も治療中。稲本選手もPKには参加せず、また、柳本選手は捻挫を押しての出場。第3戦同様に、宮本キャプテンのキャプテンマークを借りての木場選手を中心に、2ndステージでの快進撃のような粘っこい(追いつく。負けない。)試合を楽しませてくれたと思います。
 今日、レイソルに2ndステージでの借りを返したと思ったら、準々決勝(23日、仙台)では、ジュビロに借りを返せる巡り合わせになったそう。
 来週の試合も楽しみです!
1999  題して「2002年ワールドカップ予選」。
ちょっと前になるけど、抽選会があったよね。今回はそのことについて。
それにしても伸二落ちついとったねー。あー見えても内心はドキドキやったんかもなぁ。他の国の運命決める役っていうのもやりにくそう。
 
やっぱり目が行くのはヨーロッパの組み分け。1組はユーゴやろう。昔ガンバにいたカーリッチっていう選手がスロベニアにいるのも気になるけど、ちょっと厳しいわ。2組はオランダ間違い無し。なかなか結果が出てへんとは言っても、今一番良いサッカーをしてることは事実やから。長期戦やし。3組はむずいな。強いて言えば、チェコ。ベルガーっていう選手がいるから。最近見てへんけど、良い選手やで。4組は今まで通りやったらスウェーデンやねんけど、最近トルコが調子良いからトルコがいきそうな感じするわ。5組はシェフチェンコのウクライナに期待してる。あのスピードはすごいと思うよ。速いし巧いし。6組はクロアチアのはず。ただ、ボバンが抜けたあとどうなるんかが問題とちゃう?7組はスペイン。良い選手がいっぱいいるよ。デラ・ペーニャ見たいなぁ。8組はイタリアやと思うけど、ルーマニアが抵抗するかもね。いつもしぶとく戦うからなぁ。最後は注目の9組。俺はイングランドやと思ってる。ドイツは世代交代がうまくいってないらしいし。ここでもし負けてもドイツはプレーオフとかをクリアして、必ず本大会には出てくるやろう。あの勝負強さは捨てがたいね。
 
他のアフリカ、アジア、オセアニア,北中米,南米の予想はむずいなぁ。
以上好き勝手に予選を突破しそうな国を考えてみたけど、理由は単に強そうとかこの選手見たいとか。俺の独断と偏見で選んでしまった。それと、もし海外のサッカーあんまり知らんって言う人がいたら、是非この機会に見たほうがいいよ。Jリーグや日本代表とはまた違った文化があるからね。

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2021  宮本さん、本日の出演録。
 WOWOWライブ 26:20〜28:45
 ラ・リーガ第18節 バルセロナvsエルチェ
 お疲れ様です。
2020 明日の2020シーズン最終節、ホーム・清水戦に向けて #宮本恒靖 監督の前日コメントをお届けします

宮本監督「(清水の印象は?)攻撃的なポジションに個人の力で突破したりシュートまで持っていける力のある選手、フィジカル的にも強い選手がいるという印象があります。」

宮本監督「2位は決まりましたけど、今シーズン残り最大3試合できるように、明日の試合もしっかりとしたパフォーマンスを出すこと、今年はアウェイで勝つ試合の方が多くてホームで勝つ試合が少なかったので、最後にそういう試合をして天皇杯に繋げていきたい思いでいます。」

[プレビュー]コロナ禍で支えてくれたサポーターに勝ち点3を。清水相手に有終の美を飾る

ツネコレ 2020
2000  題して「大興奮」。
昨日は1時から3時間、テレビの前で叫んだり、吠えたり、ハラハラしたり・・・。
ほんま疲れたわー。サポーターの人の気持ちがわかったような。
あきらめへん気持ちで勝ち取った勝利やね。皆の頑張りに感謝やわ。
だって俺は次に照準合わせてきたから。またプレーできるチャンスが来た。
怪我したままシーズン終えるのはいややからね。
明日からピッチ上げていくよ。

19
2024
富山出張
#寒い #きときと寿し #時間がない中でサクッと #ランチセット #できるだけ地元のものを #カターレ富山 #j2昇格 #新スタジアム構想
2020  J1第34節 ガンバ大阪vs清水エスパルス 0●2。
 コメント
2017 [ 2017シーズンレポート ]確かな成長を見せた選手たち。シーズン終盤に若きガンバが真価を発揮する
2014  月刊フットボリスタ2015年1月号増刊「AFC ASIAN CUP Australia 2015オフィシャルマガジン」の58〜61ページに宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「元日本代表主将が語るアジアの戦い」。
 宮本さんご自身の2004年アジアカップ優勝の経験を踏まえて、オーストラリアで開催されるアジアカップの日本代表に関する分析と期待を語っていらっしゃいます。
2013  雑誌「pen」の1月1・15日号の138〜139ページに宮本さんのインタビューが掲載されています。
 題して、「タイヤを換えると、カーライフも変わる」。
 タイヤの感触は、サッカーのスパイクの革にも通じているのだそうです。
 宮本さんの好みは「安定感があって、しっかりとしたホールド感」だそうです。
2011  宮本選手が、現役引退を表明しました。
 17年間、本当にお疲れ様でした。
 僕個人としては、2000年7月以来、11年半の応援でしたが、宮本選手のプロ生活の3分の2に立ち会えただけでも、光栄に感じています。
 第二の人生を頑張って下さい。変わらず応援し続けます。
 まずは、来月22日の「松田直樹選手メモリアルゲーム」@日産スタジアムでお目にかかれることを心から楽しみにしております。、
 なお、宮本選手の公式サイト「Tsune」のDIARYが更新されました。
 題して「宮本選手からのメッセージ」。
 17年間の思い、そして、これからの第二の人生にエールを贈りたいです。
記者会見コメント:みなさん、今日はお忙しい中お集まりいただき本当にありがとうございます。私、宮本恒靖は、2011年をもって現役を引退する事を決意しました。ガンバ大阪、レッドブル・ザルツブルク、ヴィッセル神戸、そして日本代表として、この17年間はたくさんの人に支えられながら、本当に充実した日々を過ごす事が出来ました。本当に感謝しています。ありがとうございました。今後はヨーロッパにおいて、FIFAマスター(※)のコースへ行くこと、さらにヨーロッパにおいて指導者ライセンス取得のための準備、活動をしていきたいと思っています。改めてみなさんこれまで、ありがとうございました。

Q:悩み抜いた末の決断と思いますが、引退の決断に至った理由、経緯を教えてください。
35歳までプレーをする、というのは2002年の日韓W杯が終わった時に自分が抱いた次のステップへのイメージでした。それが神戸との3年契約を終えるタイミングだったので、それも理由の1つだということ。また、去年途中から試合に出る機会が減っていって、いろいろと自分の置かれている状況、将来を考えていくなかで、ピッチの中でこなせる役割というのは、もうそう多くはないのかなと思いました。それよりはピッチの外で、自分がこれまで経験して来たものや、これから習得していけるものでサッカー界に貢献して行けることの方がこれから多くなっていくんじゃないかと思ったので、現役を退こうと思いました。

Q:FIFAマスターを目指されるという事ですが、その先に、どういうことを目指していらっしゃるのでしょうか?欧州の指導者なのかJリーグに戻りたいと考えていらっしゃるのか。また今年で3年契約が切れる中で他のクラブからの獲得の話もあったといますが、それでも引退を決断された理由は?
後の質問から答えると、神戸の方からもありがたいお話を戴き、いろいろなことを考えていく中で、もう少しプレーするのも1つかなと思った時期もあったし、心のなかが揺れている時期もありました。ただ、12月3日に今季のJリーグの最終戦、仙台戦でプレーする機会を得たことが大きかったと思います。もし、そこでプレーしないままシーズンを終えていたら、何か自分の中で、やり残したような気持ちを持ったまま終わる事になったのかもしれないのですが、あの試合に出場できた事で自分の中で迷っていた気持ちに対して、背中を一押しされたような感覚もあり、あの試合をする前には、『これが神戸での最後の試合になる、現役の最後になるな』という覚悟を持って試合に臨みました。他のクラブからも少し興味あると戴きましたが、先ほども話したように、自分が思う選手を辞めるタイミングと、自分が新しく見つけた、挑戦したという興味の対象が見えたことで、現役を続けるより、新しい分野でやっていく方がいいと思ったので、そちらを選択しました。

FIFAマスターに関してのことが始まると、それこそ忙しくなり、おそらくそこにかかりっきりになってしまうと思うので、それ以降にヨーロッパでライセンスを取得したいと思っています。また、取得できた暁にはいろいろな選択肢をもって自分の道を選んでいきたいと思っています。日本に帰って来て、日本で仕事させてもらうにしてもいろんなタイミング、ご縁があると思いますので、そういうものが全てうまくいった時に選択をしたいなと思います。


Q:仙台戦のピッチに立った時の気持ち、終わった時の気持ちを教えてください。一言で言うのは難しいと思いますが、17年間のプロ生活において、思い出に残っている事を教えてください。
最後だなと思ってピッチに立った時は本当にサッカー場、というか、スタジアムって素晴らしいなと。本当にきれいな空間だと思いながらプレーしていました。残念ながら雨がすごくて、ピッチコンディションはおそらく、サッカー人生でも一番悪いくらいの状況でしたが(笑)、試合中はああ楽しいなと思いながらやっていましたし、これで終わるのは寂しいなという気持ちもありましたし、でも試合に負けていたんで勝ちたいなとか、そういうことも考えていました。終わった時は負けてしまったのですが、一つ区切りがついたのかなという感覚がありました。

17年間は本当に一言で言い表すのが難しいのですが…ちょっと話長くなりますが、10歳の時に、新聞で『日本、W杯の開催地に立候補』っていう記事を見た時に、父親と『うわあ、これでW杯が日本で見られる機会ができるね』という話をしたんですが、まさかそのピッチに自分が立って、プレーできるとは思っていなかったし、実際、自分がプロに入った時にも、日本代表とししてプレーできるというような自信は正直なかったのですが、それが現実になり、そういうところでプレーできたことが一番印象に残っていると…一言で言うならばそうなります。


Q:今回の決断にご家族からはどのようなねぎらいの言葉があったのか。17年間のサッカー人生において最も思いでに残っている試合と、理由を教えてください。
家族には11月終わりくらいに相談したのですが、『いいんじゃないか』と。それは両親もそうですし、自分の家族、妻もそうです。子供たちに説明するのは難しかったけど、お父さんはサッカー選手じゃなくなるんだよと言いました。子供たちに説明するのは難しかったのですが『お父さんは、サッカー選手じゃなくなるんだよ』と伝えたら、少し寂しそうな顔をしましたが、『これからお父さんも頑張っていくので、一緒に家族として見守っていってほしい』という話はしました。一番印象に残っている試合は、02年W杯のロシア戦が自分のサッカーキャリアの中でもハイライトの1つだし、日本のW杯における初勝利に貢献できてすごく嬉しかった思い出があります。

Q:宮本選手を通して、サッカーを好きになった子供さんがたくさんいらっしゃいます。そういった方たちや宮本さんが常に大事に考えられてきた子供たちへ、メッセージをお願いします。
ファンの方には…特に02年の時にマスクをつけた僕の姿を観て、これ誰なんだ?ということでサッカーを知ったり、のめり込んだ人も多かったと思いますが、そういう…自分がフィルターとなってサッカーに興味を持ってもらい、Jリーグや日本代表や、サッカーを好きになってもらえたらいいなとやってきました。
確かに、僕が貰ったファンの方からの手紙にもそういう言葉が書かれていたことからも、それは一つ自分の役割としてできたかなと思います。そういったファンの方には…これは別にお別れではないので、これからも自分らしくやっていくところを見ていただきたいなと思います。
また子供たちには、サッカーを楽しんでもらいたい、サッカーにのめりこんでもらいたいと思います。ただ、サッカー以外にも大切なことというのはあると思います。勉強もそうだし、友だちと遊ぶ事もそうだし、お父さんやお母さんの話をしっかり聞く事もそうだし、自分がその時々、目の前にしていることに100%集中して生活していってもらいたいなと思います。それが自分の人生にも生きてくると思います。たくさんの可能性を持った子供たちにはたくさんの可能性を追究していってもらいたいと思っています。


Q:17年間、宮本選手の人生の中でこの時間はどういう時間でしたか?また、FIFAマスターですが、かなり大変そうですが、これからの人生の時間はどうなるであろう、と想像していますか?
17年間は短かったです。それは多分自分が走り続け、走り抜けて来たからそう思うんだと思いますが、その中では、いろんな嬉しい事悔しい事もありましたし、苦い敗戦、歓喜の瞬間もありました。それらすべてが自分の糧になって自分を大きくしてくれたと思いますので、この17年間に対して悔いはないし、100%毎日、グラウンドでできることをやってきたつもりです。それが終わる寂しさはもちろんありますが、たぶんそれは時間をかけて徐々に、気持ちも身体も、現役のプロ選手じゃないということを受け入れていくんじゃないかなと今は思っています。
FIFAマスターを受けるということは、すごく難しい部分もあると思いますが、もうすぐ35歳になる一人の人間として、もう一度何か新しいことにチャレンジしたいという気持ちが強かったですから。困難なのは分かっていますが、それに挑戦する事で自分が更に自分自身を磨けるんじゃないかなと思います。だから現役を終える寂しさはありますが、新しいことにチャレンジしていくんだ、トライしていくんだというポジティブな気持ちもあります。


Q:欧州でFIFAマスターを学び、将来は指導者を目指されるということですが、10年後、20年後、例えば、どんなクラブで、どんな監督になりたいのか。今の時点で将来像を描いていれば教えてもらえますか?
今までサッカー選手として、サッカー選手からみたサッカーしか見えてなかったと思いますが、FIFAマスターにいったり、他の立場に立った時にサッカーの違った部分って見えてくると思うんですね。それをもとに、指導者の道で、どちらかというとサッカーの現場に近い部分で、サッカーに携わっていきたいと思うのか。もう少し違った視点から、日本のサッカーの成長に貢献していきたいと思うのかは、もう少し時間が経たないと、ハッキリ言えないと思っています。もちろん、10年後20年後継続してサッカーに携わりたい、日本に於いてサッカーのステイタスが高まるように、サッカーのレベルがあがるように貢献していきたいと思っていますが、10年後、20年後にどういう立場からというのは現時点で言うのは難しいです。

Q:今、日本のステイタスをあげたいという言葉がありました。いま描かれている日本のサッカーへのビジョンがあれば教えてください。
今、たくさんの選手が海外でプレーをしていますし、若い選手がどんどん海外にいこうとしている今のトレンドもすごくいい傾向にあると思います。ゆくゆくは、アフリカのチームやオーストラリアのチームがヨーロッパに集合して、そこで国際試合をこなすように、日本の代表チームもヨーロッパで…例えば、ロンドンで、集まって試合をして、また各ヨーロッパに所属している選手は各国に帰り、日本の選手はまた日本に帰るというような、そういう時代がくるのが理想だと思うし、そういう時代がくれば、おそらくW杯でもいまのベスト16というのを超えて、もっと上にいけるんじゃないかと思います。

Q:宮本選手から見て今の日本サッカーで足りないと思うところ。また、今後、FIFAマスターとしてそういう役割を担って行く中でご自身がどういう役割を果たしていきたいかお伺いしたいのですが。
日本代表ということなら、ザッケローニ監督のもとでどんどん進化していっているし、どんどん若い選手が出て来て力をつけていると思います。この前のアウェイでの北朝鮮戦のような、アウェイでの厳しい戦いというのは、今は経験の浅い選手たちがそういう積む事でどんどんチーム力は上がって行くと思いますから、そういった厳しいアウェイでの試合をこなしていってもらいたいなと思います。それは個人だけではなくチーム力のアップにも繋がりますし、チームとしての結束力にも繋がると思います。自分がこなしていきたい役割については、自分自身を磨いていきたいというのがありますが、FIFAマスターには20数カ国から人が集まってきますから、そこでの人の繋がりも出来ると思うんですね。それは将来的に、日本のサッカーの発展にも繋がると思っているのでそういった人脈づくりも出来ればいいなと思います。

Q:最後の現役時代3年間を神戸でプレーされましたが、この3年間での思い出と、神戸サポーターの方にメッセージをいただければと思います。
願わくは3年間フルで出て、神戸でキャリアを終えたかったのですがそうはいかなかった。でも、そうやって試合に出て来た自分が、そういう立場に置かれた時に何を思うか、という心理状態を身を以て知った事は、今後自分が指導者としてやっていく上でも活かされるものだったと思っています。
神戸に来た時はまだまだプロ意識というか、練習のレベルにしてもそうですが、少し首をかしげるところもありましたが、ここ最近は練習からもレベルは上がっていると思うし、今年クラブ最高順位の9位になったことで、クラブ、個人にも自信が芽生えてきていると思うんですよね。来年新戦力も増えると聞いていますし、今ある神戸のベースとそうした新戦力の人たちがもたらす質の部分がうまくあわされば、更にいいチームになっていくんじゃないかと思います。神戸のファンの方にはなかなか、プレーをする姿を見てもらえなかったのは残念だったのですが、どちらかというとガンバ色の強かった僕を受けいれてくれて、応援してくれたことに本当に感謝しています。


Q:ポジションとしてはDFとして決して体格的には恵まれていた訳ではない中でこれだけトップレベルでキャリアを積まれて来た。自身のプレーにおけるこだわり、意識してやってきたことは?
ピッチ上での戦いだけではなくて、事前の情報収集や、ピッチ外で起こっていること…例えば、相手監督の指示とか、選手同士の情報の伝達のし合いなど、細かな情報も自分にインプットしながら、どうすれば優位に立てるか、プレーの予測がつきやすいか、ということを常に考えていたと思います。もしも自分が195センチとか、本当に大きな選手ならたぶんそこまで考えずにプレーしていたのかもしれませんが、常に考えて来たことで17年間プレーしてこれたのかなと思います。

Q:田嶋副会長から協会としてのサポートと言う話がありました。協会として、いち個人に対してのサポートしては異例と思いますが、それに対してどういうお気持ちですか。
田嶋副会長のコメントは非常にありがたく、光栄に思います。田嶋さんと初めてお会いしたのは1993年になります。当時のU-17の世界選手権の準備期間で、合宿をしているところに来られた時に初めて話しをしました。それから代表チームで活動するたびに、いろいろ気にかけていただいて、現役後、こういう道に進む時にもバックアップしていただけることで、本当に心強く思います。具体的にどういうサポートをしてもらえるかはこれからのことになります。協会としてもいろんなノウハウ、コネクションがあるので、そういったものを活用できるように協力していきたいというお話はいただいているので、それは本当に嬉しく思っています。

Q:FIFAマスターのシステムについて宮本選手が理解されて、そこにいきたいと思われた時期はいつで、きっかけはあったのでしょうか?
初めて知ったのは11月の頭くらいです。自分としては常に思っていたのは、現役を辞めた時にもう一度勉強したいと思っていました。同志社出身なので同志社の大学院で勉強する事も探りましたし、神戸の大学に問い合わせたこともあります。ただ、サッカーとはなかなかリンクしないなということを思っていた時に、自分がやりたいサッカーの部分とスポーツマネジメントの部分でフィットするな、マッチするなと思ったので挑戦したいと思いました。(日本にとどまらずに、世界で、と思った理由はありますか?)それは多分オーストリアで2年間プレーしたことが大きかったと思います。ヨーロッパにいると国が近い事もあって、本当にそこでの動きが本当に身近に感じられる状況に身を置くと、ここが本場なのかなということを感じました。日本にいてももちろんできることはあるのですが、そういう違った環境に身を置く事で自分が鍛えられる事もあるだろうし、もう一度、ヨーロッパにいって芸術や文化を知ることによって、もう一度日本に帰ってきた時に持って帰ってこれるものがあると思っています。

Q:FIFAマスターについて来年9月からキャリアを始めるという事ですが、年明けから準備はヨーロッパでされるのでしょうか。どういう準備プランをもっていますか?
準備をするのは日本にいてもできますし、すぐにヨーロッパにいくわけではないです。コース自体は9月から始まりますのでその前に行くと思いますが、準備に関しては日本でやることになると思います。

Q:17年間のプロ生活の中で最も凄い選手だなと思った選手は?ライバルという存在がいたのであれば教えてください。
凄い選手はたくさんいますからね。昔の話でいえば、ガンバでのチームメイトだったエムボマは彼は日本人の感覚にない、アフリカ特有の発想でプレーしていましたし、01年に会ったイタリア代表のトッティ、00年のシドニーで闘ったロナウジーニョ、04、05年のジェラードの速さであるとか、05、06年のカカのプレーなど本当にたくさんいますね。そういう…この選手のここがすごい、ということは若い選手には伝えています。そういうものは伝えられる立場にあったので出来るだけ還元してきたつもりでいます。

ライバルは…同年代の選手は気になる存在でしたし、この間、残念な事に亡くなってしまった松田直樹や、森岡隆三という選手の存在は自分自身、刺激を受けましたし、彼らに負けないように頑張らなければいけないなと思っていました。


Q:松田直樹選手が亡くなられたことで、宮本選手の今後のサッカー人生を考える上で何か影響はありましたか?当時の心情ということでもいいのですが。
彼が横浜F・マリノスから松本山雅にいくという話を聞いた時にすごく難しい選択だっただろうなと思いながら、それ以降の試合の記録なんかも追いかけていましたし、そこでどんなプレーをしているのか見ていました。本当にそれが志半ばになってしまって…自分がJFLでプレーする事があったらどうなんだろうということも、もちろん考えたのですが。自分はマツほど気持ちを前面に出すようなプレースタイルじゃないし、自分がああいう立場になった時にどうかということはもちろん想像はしました。それは難しいだろうなとも思いましたし…そうやって、プレーする機会がある立場にある訳だから頑張ってプレーしたいなということはその時点では思っていました。

Q:数多くの指導者の元でサッカーをされて来たと思いますが、印象に残っている指導者はいらっしゃいますか?
中学時代にお世話になった川本先生には、自分がリーダーとして、初めてキャプテンを任された監督なのですが、どうふるまうか、どうすべきかということを常に考えさせてもらったと思っています。またガンバユースの時にお世話になった上野山さんにはサッカー選手としての基盤を作っていただいたと思っています。プロになってからは、西野さんには自分がある程度持っていたサッカー感を更に攻撃的にしてもらったと思っていますし、トルシエにはこういうチーム作りがあるのかと気づかされたし、日本の若い選手の目線を高くしてくれた人だったと思います。ジーコは日本代表のキャプテンを任された、信頼してもらった監督いうことで印象に残っています。

Q:17年間たくさんの方に応援された方と思いますが、ファンの方へメッセージをいただけますか?
日本のスタジアムに訪れるといろんな年齢の方がいますし、男女、子供、たくさんの人がいいます。そういう方たち、サポーターの方たちの存在があっての、日本のスタジアムの雰囲気の良さだと思うので、今後もぜひその良さは続けていってもらいたいと思います。いろんなスタジアムにいって、いろんな声援をいただいたのでそういう方々には、本当にお礼を言いたいと思います。これからもぜひスタジアムに足を運んでいただきたいと思います。

※FIFAマスター=FIFAが承認しているスポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士の資格。
2005  宮本選手のオフィシャルウエブサイト「Tsune's Street since1977」の「DIARY」が更新されています。
 題して「寒」。
 昨夜のトヨタカップ決勝など、近況報告が綴られていますが、練習場もとにかく寒い様子です。
2004  天皇杯 鹿島アントラーズvsガンバ大阪
 →撮影写真
1999  天皇杯4回戦 横浜F・マリノスvsガンバ大阪 2−1でF・マリノスの勝ち。
20
2019  ツネコレ2019
2012  宮本さんがミヤモトフットボールアカデミーでコーチとして指導なさいました。
2006  「宮本恒靖公式サイト」の「DIARY」が更新されています。
 題して「移籍について」。
 午後の練習やその後の記者会見よりも早く、午前中のうちに、公式サイトにFCレッドブル・ザルツブルグへの移籍基本合意についてを発表して下さいました。

 宮本選手、夢への第一歩、おめでとうございます。

 以下、ガンバ公式サイトからの宮本選手の記者会見コメント引用です。
「まず、今回の移籍の実現にあたり、ガンバ大阪、関係者の方に感謝をしたいと思います。ガンバで15年間過ごしてきて、簡単な決断ではありませんでした。自分の中で持ち続けてきた海外への挑戦という気持ちを元に結論を出しました。先日、ファン感でOBvs現役という試合をしました。多数のOBが集まってくれて、ファンの方の歓声を聞いて、みんな、長い間、ガンバを応援してくれているのを改めて感じましたし、そういうファンの前でプレーをしてきたことは非常にうれしく思います。たとえ、宮本がいなくなっても、ガンバ大阪は存在し、常に優勝争いをするようなチームになってきているし、ファンの方にはそういったチームをサポートするという素晴らしい姿を続けてほしいと思います。自分は向こうで頑張ってプレーをしているという姿を見せたいと思います。将来的なことはまだ分からないですが、何かの形でガンバに関わって、将来戻ってくることができればいいと思います。」

 天皇杯終了までは、ガンバの一員としてまだまだ活躍して下さるとのこと。
 天皇杯を勝ち進み、国立の決勝で元日を迎えたいものです。
2003  天皇杯4回戦 セレッソ大阪vsガンバ大阪 3−2。
 愛媛に場所を移しての大阪ダービーでしたが、前半の2得点を守り切れずの敗戦で、残念ながら、今年のガンバ大阪のラストゲームとなってしまいました。
 宮本選手、今年も本当にお疲れ様でした。 
↓12.21