新生ガンバで指揮官ツネが明快にしたかった色──それが秘蔵っ子の“ヤン”だった

[J1リーグ・18節]G大阪1−1鹿島/7月28日/吹田S
 
 指揮官・宮本恒靖は、勝負師である。J1の采配デビュー戦で、それが鮮明に描き出された。
 
 センターバックだった現役時代は、局面局面での最適解を迅速に導き出し、周囲を巧みに使いながらクレバーにピンチの芽を摘み取った。時折、機を見て攻撃参加は仕掛けても、リスキーなプレーはほぼない。それがガンバ大阪のアイコンの、日本代表主将の真骨頂だった。
 
 ところがどうだ。ツネ新監督は自身の初陣で誰もがあっと驚く賭けに出た。J1でのプレー経験がない20歳のボランチをスタメンに抜擢登用したのである。ずっと成長を見守ってきた秘蔵っ子だ。起用に自信はあっただろうが、さすがに確信はなかっただろう。
 
 それでも、宮本監督は入団2年目の高宇洋(こう・たかひろ)にこだわったのだ。先発させたい特大の動機があった。なぜなら志向する新たな戦術をもっとも深く理解し、ピッチ上で体現できるキーパーソンだったから。結果がどうなるにせよ、新指揮官はJ1采配デビュー戦でその“色”を明快にしたかったのである。
 少しほっとしたような表情を浮かべながら、宮本監督は高を抜擢した理由を明かし、そのプレーぶりを以下のように評した。
 
「シーズン前半戦を観ていて改善の必要性を感じていたのが、中盤の守備。高の強みであるその部分を大いに期待して、役割を与えました。J1での試合が初めてとはいえ、しっかりやってくれるんじゃないかと。ゲーム序盤はさすがに緊張が見えましたけど、後半は尻上がりに良くなっていきましたね。守備では得意のかすめ取るような動きができていたし、攻撃の面でもどんどん良くなった。十分期待に応えてくれたと思います」
 
 20歳とは思えない高度な戦術眼と、重圧をものともしない鋼の精神力。宮本監督は愛弟子のポテンシャルに賭けたのだ。
 
 高は中国人と日本人のハーフである。お父さんは元中国代表MFの高升(こう・しょう)さんで、日本では富士通(現・川崎フロンターレ)などでプレー。引退後に指導者の道を歩み、母国プロクラブでコーチや監督を歴任している。フロンターレの下部組織で父子は、指導者と選手の間柄だった。息子の中国語読みは“ヤン”で、その頃から現在に至るまで高のニックネームである。
 
 川崎U-18に昇格もできたヤンだが、進路先に選んだのは高校サッカー界の名門・市立船橋高校だった。高校選手権への熱き想いと、プレーヤーとしてよりタフに戦い抜くメンタリティーを鍛え上げたかったからだ。ここで、すべてが変わる。攻撃的MFだった天才肌は、泥臭さとハードワークも売りのオールマイティーなフットボーラーへと進化を遂げるのである。

「プレッシャーが掛かれば掛かるほど、燃えるタイプなんです」

 高1から主軸を張ってきた高は、高3になると、ボランチへのコンバートを言い渡される。チーム事情もあったが、市船の朝岡隆蔵監督は「彼のゲームを読む眼と献身性、パスのセンス。すべての能力を最大限に発揮してくれると信じればこそです」と、その理由を明かしてくれた。意気に感じた背番号10は、瞬く間にチームを掌握。インターハイ制覇の原動力となると、選手権予選前にはガンバ大阪への入団内定が決まった。どこかでプロは厳しいかもしれないと感じていたが、ボランチという新境地が、彼のキャリアを前へ押し進めたのだ。
 
 だが、プロに入ったヤンを待っていたのは厳しい現実だった。
 
 ガンバ1年目はトップとU-23チームが完全に別行動を取っていたため、遠藤保仁や今野泰幸、井手口陽介といったボランチの重鎮から技を盗む機会さえ奪われた。しかも練習をする絶対数が少なく、U-23チームはユースの選手を多数引き込みながら修練を重ねた。練習場も遠い堺へ遠征したり、近隣の山の上にあるサッカー場へ赴くなどチームにとっても苦難の日々。市船で同級生の杉岡大暉(湘南ベルマーレ)と原輝綺(アルビレックス新潟)はルーキーイヤーでしっかり足場を固めた。焦りがなかったと言えば、嘘になる。

 2年目、レヴィー・クルピ政権となっても逆風は変わらない。年下でルーキーの中村敬斗や福田湧矢、同期の食野亮太郎らがチャンスを得るなかで、高はベンチ入りさえ果たせない。心が折れそうになったのは、一度や二度ではなかったはずだ。

 入団からおよそ1年半、そんな高と苦楽を共にしてきたのが宮本監督だった。
 
 ヤンは熱っぽく、こう振り返るのだ。
 
「もともと守備が売りではなかった僕が、これで生きていこう、これならプロでやっていけると思えるようになった。そう信じさせてくれたのはツネさんです。入団してからずっと、常に寄り添ってアドバイスをくれて、個人ミーティングも何回もやってくれました。ツネさんに恩返しがしたい、勝ってもらいたい、今日はその一心で死ぬ気で戦いました」
 
 土曜日の鹿島アントラーズ戦が、高にとってのJ1デビュー戦となった。だが頭脳派MFはこの1年半、J3ながらU-23の一員として44試合(3得点)に出場している。これはなかなかの数字だろう。ヤンには、同年代の誰よりもプロの舞台で実戦感覚を磨いたという自負がある。チームではキャプテンを任されることも多かった。
 
「監督がやりたいサッカーを、僕がいちばん理解しているという想いはあります。この半年間は自分との戦いでしたし、厳しい状況に何度も追い込まれましたけど、その悔しさのすべてをぶつけました。ヤット(遠藤)さんからは『攻撃はシンプルにやろう。俺らボランチがシンプルに作ろう』と言ってもらって、それを意識しつつ、自分の長所である守備のところはガツガツ行こうと。その強みはみんな知ってくれてたんで、思い切りやれました。これだけの大観衆の前で、しかも相手があの鹿島。どこか、楽しめてる自分がいました。プレッシャーが掛かれば掛かるほど、燃えるタイプなんです」

近未来の最大目標であるU-21代表入り、そして東京五輪へ!

 デビュー戦では攻撃を自重したが、本来は矢継ぎ早なフリーランからゴールまで陥れるセンスの持ち主だ。攻守両面で高質なプレーを保証するボックス・トゥ・ボックス型。現在リーズ・ユナイテッドに所属する日本代表MF井手口に似たタイプである。ボランチでコンビを組んだヤットは、「簡単にはたいてくれるから、俺としてはやりやすい。初めて組んでみて、手探りではあったけどお互いに良い感触は掴めたかな。もっとスムーズにやっていけると思う」と手応えを口にした。
 
 とはいえまだ1試合、90分間出場したのみである。なにより、結果が出ていない。
 
「チーム全体としてやるべきことは分かってましたし、守備の強度が(J3からJ1で)上がるというところでどうなるのかなと思ってましたけど、しっかりやれた部分があった。ずっとスタンドの上から観てて、もし自分が出たらこうしようと考えていた部分も出せたのかなと思います。勝ち切れなかったのは明らかな課題として受け止めつつ、自分がすべきことをまずやり遂げたい。それでヤットさんに前に出てもらって、自分も攻撃のところで貢献していけたらいい。いまはなにを置いても、もっともっと、試合に出たいです」

 あえて「いつから守備的な選手になったの?」と茶化すと、ヤンは「気づいたらこうなっていました」と、おなかをさすりながら笑った。
 
 プロになってついに掴んだ飛躍のとき。二人三脚で少しずつ階段をのぼってきた恩師の下で、新生ガンバの旗頭となれるか。そして近未来の最大目標であるU-21代表入り、東京オリンピック出場に名乗りを上げるか。
 
 ヤンの本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。

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