<歩みをとめない者たち>
宮本恒靖の“今を生きる”原動力。

宮本恒靖は、バーンアウトと表現する。
2006年、ドイツワールドカップ。ベスト16まで進んだ日韓大会以上の結果を期待されたものの、惨敗に終わった。キャプテンとしてすべてを注ぎ込んできただけに、その代償は思った以上に大きかった。
もう12年も前の出来事になる。宮本は古巣ガンバ大阪に戻って指導者となり、U-23監督とトップチームのコーチを務めている。ビターな記憶は、今なお新鮮なままである。
「ショックはありましたね。いい結果をもたらすことができず、モヤモヤしたままでガンバ大阪の練習に復帰して、そこでヒデ(中田英寿)の引退表明もありました。自分に置き換えてみても、キャリアの終わりが近づいていると感じさせられました。ドイツから帰国してJリーグの試合がめぐってくるなかで、集中力を保とうとはしていたつもりです。しかし気持ちとパフォーマンスにズレが生じていて、プレー自体あまり良くなかったかなって思います」
自分はどう進んでいけばいいのか。
立ち止まりかけた。だが、行動の人は目線を次に移そうとする。それが29歳での海外移籍というチャレンジだった。
宮本が当時の決断を振り返る。
「次のターゲットを定めないと、新たなモチベーションが生まれないなと感じました。もう海外に行くしかない、と」
2006年シーズン限りで、ユース時代を含めて15年過ごしたガンバ大阪に別れを告げ、オーストリアの強豪レッドブル・ザルツブルクへと渡った。
29歳と言えば、サッカーではベテランに入る範疇。かつ日本人ディフェンダーの海外挑戦は、まだ珍しい時代だった。
語学は堪能だとはいえ、海外のやり方を一から吸収しなければならない。
彼は合流する前からチームメイトの名前と顔を覚え、積極的に溶け込もうとした。イタリア代表やACミラン、ユベントス、インテルなどビッグクラブで指揮を執ってきた名将ジョバンニ・トラパットーニ監督とは何かあればコミュニケーションを取るようにした。
「満足してません、という姿勢を」

「監督から何を求められて、どんなタスクをこなせば試合に出られるのかはっきりさせておきたかった。監督と話をしたことは、多々ありましたよ。出場するチャンスがなければ、『何故なんですか?』と聞きにいく。主張がなかったり、黙って受け入れてしまうと『アイツは現状に満足しているんだな』と思われて、ほったらかされてしまう。満足してません、という姿勢は見せないといけない。
試合に先発で出たいと思っても決めるのは監督。何もコミュニケーションを取らないで『監督は自分のことをどう思っているんだろう』ってモヤモヤしながら1カ月過ごすのと、コミュニケーションを取って何が足りないかがはっきり見えたなかで1カ月過ごすのでは全然違ってくる。自分の力で変えられないものに対して思い悩んでも仕方ないというのが僕の考え方です。逆に自分の力で変えられるものに対しては精いっぱい頑張る、と」
異国と日本の常識は違う。しかしそのギャップを埋めていく難しさは、むしろ求めていたもの。自分を成長させると信じていた。
移籍初年度の2006-2007年シーズン、ザルツブルクは10年ぶりにリーグ優勝を決める。不動のレギュラーとはいかなかったが、出場試合を増やしながら栄光を勝ち取った。
次のシーズン、欧州チャンピオンズリーグ予備予選にも出場した。左サイドバックでも起用された。一つひとつステップアップしている実感を得たが、2008年1月に全治5カ月の大ケガを負ってしまう。復帰後、新監督の信頼を勝ち取れず、宮本の海外チャレンジは2年で幕を閉じる。そしてヴィッセル神戸で3シーズンを過ごし、34歳で現役を引退する。
その後の行動も早かった。
欧州でプレーしたことで、伝統あるクラブの成り立ちや、欧州内におけるスポーツのステイタスなどを知ることができた。引退すると、勉学に励んでスポーツ学の大学院「FIFAマスター」に入学。イギリス、イタリア、スイスの大学を回り、卒業した。
かつて彼は高校を卒業してガンバ大阪に入団すると同時に、同志社大学経済学部に進学している。「何か新しいものを吸収したい」「知らないことにトライしたい」思いは、その頃から変わっていない。
「サッカーでも、うまくなりたいっていう気持ちはずっと変わらないんです。中学生になって大阪選抜、次に関西選抜に入っても満足しない。最初はそのグループのなかで下手でも、認められるためにうまくなろうとする。そしてうまくなったら、次のステップに行きたくなるんです」
次の自分へ歩みをとめない。

ガンバ大阪でもレギュラーとして定着するまでに時間が掛かった。トルシエジャパンでもジーコジャパンでも控えから始まり、自分の地位を確立させていった。やることは決まっている。そこに集中できていれば、道は切り拓けるのだ。
彼はひと息つくことなく、次の自分へ歩みをとめない。
現役を終えてもその姿勢は不変だ。FIFAマスターも、指導者の道も。
好きな言葉に、アップル社創設者スティーブ・ジョブズの「ドット(点)とドットをつなぐ」がある。
意識してつなげていくものではなく、日々邁進していくことでつながっていくもの。宮本はそう捉えている。
「目の前のことに集中して、100%コミットすることでいい流れになっていくというのが自分のなかにあります。もちろん、いろいろやることはしんどいですよ。でもインプットとアウトプットを連続させて、何とかやり切ることで次にやりたいことが見えてくると思っていますから」
バーンアウトから踏ん張って海外移籍を決断したからこそ、FIFAマスターへのチャレンジへとつながった。そして指導者へのチャレンジにもつながっている。
ドットはエンドレスに続く。
今を全力でやり遂げようとする限り。
宮本 恒靖みやもと つねやす
1977年2月7日、大阪府生まれ。サッカー日本代表として国際Aマッチ71試合出場、3得点。W杯は’02年日韓大会、'06年ドイツ大会に出場。'11年に現役を引退後、'13年にFIFAマスターを修了。'17年よりガンバ大阪U-23の監督、'18年よりトップチームのコーチも兼任。