宮本恒靖、バットマン秘話
4年に一度のサッカーの祭典、W杯ロシア大会が6月14日に開幕する。新連載「サッカー元日本代表が語るW杯メモリー」の第2回は、G大阪U−23、宮本恒靖監督(41)が登場。2002年日韓、06年ドイツ大会を経験した主将が、当時のバットマン秘話を明かし、ロシア大会に臨むメンバーにコミュニケーションの大切さを説いた。

(1)代表は国民幸せにしないと
W杯の思い出はいろいろありますね。でも、すごく日本の人が喜んでくれたなと。日韓大会の時は特に。自分たちのバスにみんなが手を振ってくれて。移動の新幹線がこだまで、止まる駅ごとにホームに人があふれていた(注1)りとか。ジーコもよく言っていたんですけど『代表チームっていうのは国民を幸せにできる、しなきゃいけない存在だ』って。まさに、そういうことができた大会だったのかな。
02年のメンバー発表は記者会見をテレビで見ていました。よかった、ほっとしたって気持ちと、実際に選ばれてホスト国としてしっかりとした成績を残さないとサッカー人気に陰りが出るんじゃないかって危機感を持ちながら大会に入りました。
個人的には大会前に鼻を折った(注2)ので、出られるか出られないか瀬戸際に立たされたんでね。自分としては出るつもりでしたけど。なんとか初戦に間に合うようにと思ってて、よかったなという記憶はありますね。あのフェースガードは、元々は白っぽい色で。試合用と練習用に分けていて2つあったんですけど。ウオームアップの前かな、ロッカーで『それ黒く塗った方が格好いいんじゃないか』って声が聞こえてきて、そうやなぁって感じで。油性ペンで半分くらいまで塗って間に合わなかったので、あとはマネジャーが塗ってくれました。臭いというより、汗で黒くシミが出てきて…。幸か不幸か。いろんな人にいまだに言われますし、(反響は)大きかったですね。

(2)バス移動にも配慮できれば
キャプテンについて、02年は秋田豊さん(鹿島など)だったり中山雅史さん(元磐田、現在J3沼津)だったり、他にも自分より年上の選手がいて。経験豊富な選手がたくさんいたので、みんなで盛り上げていくような感覚でしたね。サブの選手も練習試合で『裏ワールドカップや!』(注3)とか言いながら、みんなで盛り上げながらやっていた。試合に勝ったりいい結果が出ていることも、いい方向に働いていたと思います。
06年は年が上にもなっていたので、チームがうまく回るように工夫をしながら、大会に臨まなきゃいけないなと思ってやりました。初戦の豪州戦でうまくいかなかったことで、ちょっと難しい大会にはなるかなと考えましたね。試合後はみんなで日本料理店にいこうということもありました。なんだろう…結果が出なかったことでチームがばらばらにならないように、ということはすごく気を使ってましたね。ヒデ(MF中田英寿)も『何かした方がいいかな』とか言ってましたし。大会に臨むときのメンバー構成とか(要因が)あると思うんです。年齢のバランスとか経験値とか。そういうことを重要視したトルシエは、最後に経験のある選手をいれたと思う。ジーコもそういう考えを持っていたけど、田中誠さん(当時磐田、チーム最年長)が途中で負傷離脱したり、そういうハプニングもあった。

大会に臨むにあたっての準備のところのストレスとか、日本でやる大会とはまた違うものもある。メディア対応(注4)とかも毎日練習後に呼ばれる選手と呼ばれない選手が分かれていってというのもあって。同じバスで移動するので、呼ばれない選手はバスで待っている20分とか毎日待たされる。マネジメントする側が、先に1便出そうとか、そういう配慮ができればよかったかな。
(3)長谷部のノウハウいかして
長谷部誠(フランクフルト)のような経験がある、W杯を2回戦ってきている選手が持つもの、ノウハウを存分に生かしたらいいと思います。日本人スタッフとしっかりコミュニケーションを取りながら、チームがいい方向に行くように。ブラジル大会前に、長谷部とはそういう話(キャプテン論)をする対談があったんですけど、コミュニケーションが大事になるよな…という話をしました。あれから4年経って、本人も感じるものもあるでしょうね。やっているときは充実している思いがあると思う。自分のパフォーマンスをしっかり出せれば、間違いなくいい流れに持っていけると思うんですよね。
監督が代わるとは想像していなかったので、意外というか驚きでした。西野さんはこれを絶対にやれ、こうやれ、ああやれっていう監督ではないです。でももちろん、選手がやったことに対してのジャッジは厳しいですね。やる選手たちがコミュニケーションを取りながら、こうしたほうがよかったなとか、実戦の中で練習の中で、共通理解を深めていけば。準備期間は3週間くらいになりますけど、それがすごく時間がないとは思わないですし。もちろんすごい新しいメンバーがたくさん入ってしまうと難しいところもあるとは思いますけど、今あるベースを大事にしながら、今までできていなかったところをもう1回確認してやれれば、いいんじゃないかなと思いますね。
(注1)代表チームは静岡県袋井市にベースキャンプを張っていて最寄り駅が掛川。移動便はこだまだった
(注2)W杯開幕前の大学生との練習試合で鼻骨を骨折。特注フェイスガードを着用した姿が映画「バットマン」のようだと話題
(注3)W杯で出場機会が少ない選手が、試合翌日に大学生と練習試合を行っていた。ベテランがチームを盛り上げた
(注4)W杯期間中のメディアへの対応方法。試合のない練習日についてはトルシエ監督時代は完全非公開で取材もなしのケースも。ブラジル出身のジーコ監督は一切制限がなく、スター選手への取材が集中し、要望のない選手はバスで待機するなどして、不満が出た
★宮本のW杯2大会
◆2002年日韓大会 開幕前の練習試合で鼻骨を骨折。出場が危ぶまれたが、初戦のベルギー戦で途中出場。続くロシア、チュニジア戦は主将としてフル出場し、日本初の1次リーグ突破に貢献。決勝トーナメント初戦・トルコ戦もフル出場した
◆06年ドイツ大会 大会前から主将としてチームをけん引し、初戦の豪州戦、続くクロアチア戦にフル出場。1次リーグ最終戦のブラジル戦は累積警告で出場できず、チームも1分け2敗で敗退した
宮本 恒靖(みやもと・つねやす)
1977(昭和52)年2月7日、大阪・富田林市生まれ、41歳。生野高−同大卒。釜本FCからG大阪ジュニアユース、同ユースを経て95年にトップチームに昇格。2000年のシドニー五輪で8強。A代表では主将も務め、W杯には02年の日韓、06年ドイツと2大会に出場した。ザルツブルク(オーストリア)でもプレーし、11年に神戸で現役を引退。17年からG大阪U−23監督。J1通算337試合8得点。日本代表通算71試合3得点。現役時代のサイズは1メートル76、72キロ。