
「イノべーティブでありたいですね」
宮本恒靖さんは言う。
シドニー五輪、日韓・ドイツという二度のW杯で日本代表キャプテンをつとめリーダーシップを発揮してきた彼は、現役引退後FIFAマスター(国際サッカー連盟が主催する修士課程)への留学を経て、現在は指導者として歩みを進めている。
Jリーグと並行して大学を卒業し日英独の3カ国語を話す知性派として知られる宮本さん。日本サッカー界を担う次世代のリーダーは、その視線の先にどんな地図を描いているのか? アメリカのパイオニア精神と共に腕時計の新たな地平を切り開き続けてきたハミルトンの時計を腕に、宮本さんが今のチャレンジを語る。
***
2017年、宮本さんは古巣であるガンバ大阪のU-23チーム監督として初めてJ3のシーズンを戦った。1年を振り返り、最初に口をついたのは「難しかった」という言葉だった。その表情からは、結果が出せなかっただけでなく、思うようにできなかったことへのジレンマがにじむ。
「それまでの2年間、ジュニアユースやユースといった育成カテゴリーでの指導者をやりましたが、プロ選手を率いることはまた違う体験で……。加えて今年はチームのやりくりがなかなか苦しかった。それでも、苦悩を含めていろいろな意味で経験を積むことで、自分自身のキャパシティを広げることができた1年でした」

現役時代は、日本代表のキャプテンとしてシドニーオリンピック、日韓大会、ドイツ大会と二度のW杯に出場。「主将・宮本恒靖」を印象づけた。
「自分が生粋のリーダーではあるとは全然思いませんが、幼い頃からキャプテンという役割を与えられてきたことで、自分の中にリーダー気質みたいなものが根づいたんだと思います。
よく『大変じゃないですか』と聞かれますけど、物事を決めるにあたって何かしら方向づけをすることは責任を感じると同時に喜びでもあるんです。責任を与えられたことで、しっかりやらなくてはと頑張る。やりがいも感じるし、そうした時間を積み重ねて自分が成長できた部分もたくさんあります。
キャプテンであれ監督であれ、選手たちに的確で適切な言葉をかけるために、タイミングを見逃さないようにしたいという部分は共通です。
何よりも決断をしっかり下せるリーダーでありたいですね。それはビジネスの世界でも同じだと思います。これまで培った経験もありますが、周囲の状況を知覚できるよう観察することを大切にしています」

観察眼を養うため、世のリーダーたちの言動も見逃さない。
「サッカー界に限らず、リーダー的な立場にある人たちの立ち居振舞や、どんな場面でどんな言葉を発しているかは参考にしますね。
自分としては、指導者として少しずつステップアップしているという感覚はあります。将来的には、まずJ1のチームで指揮をとることができるような準備をしていきたい。ただ、実際にそうしたポジションについてみないと自分に何ができるのかはわからない、その先は見えてこないんじゃないですかね」
「2020年に東京五輪を控えていますが、オリンピック、ましてや自国開催の大会に出るなどまさに特別なこと。当然ながら代表のポジションは並大抵の努力で手が届くものではないし、競争も熾烈です。
ところが、最近の若い選手たちってあまり貪欲ではない、もっとギラギラしていてもいいと感じています。
『掴みたいものがある!』というギラギラした気持ちを、ピッチでも練習の中でも、もっと言葉や態度に出してもいいんじゃないかと思う。そのあたりがちょっと弱いですね」

日韓共催のW杯で初のベスト16進出。たぎる気持ちを前面に出してしのぎを削った自分たちの世代から見れば、物足りなさを感じるのも無理はない。しかし、そうした若い選手から最大限の力を引き出すのも指導者に課された役割だ。
「今は試行錯誤の連続です。最初の頃は、比較的やわらかい調子で接していたんですが、5月頃だったか、バンと強く言っても選手が反応できないといったことがあって。
先日の試合では、ハーフタイムにあえてかなり強い口調で怒りました。あまりに不甲斐ない戦いだったので、後半はメンタルを変えることが急務だったのです。選手の胸を叩いて鼓舞しました。
『おまえら、何とかしようという気持ちを出されへんのか!』という内側から湧き上がる怒りもありました。選手たちが成長するためにはどうしても勝たなければいけなかった試合だったので、それを改めて意識してほしかったんです。
ただ怒りを表すだけでもダメで、精神的なところを強調しながらも、どのように戦うかも示さなければいけない。選手の反応をみながらですが、簡単なことではないですね」
現役を引退した翌年、宮本さんはFIFAがスイス・イタリア・イギリスで運営する修士課程「FIFAマスター」に入学。10倍以上の難関を突破し24か国(地域)から集った30人の同級生は、博士号をもつ研究者から弁護士、メディア関連、サッカー協会職員、マーケティング業界などさまざまなバックグラウンドをもっていたという。スポーツを組織論から歴史、法律、経営など幅広い視点で学び、日本人元プロサッカー選手として初の修了生となった。
「現役を離れるとき、自分の引き出しの中身を増やしたい、知らないことを学びたいという気持ちが強くあって。それでFIFAマスターを志望しました。入学当時35歳。新しいことを学ぶには年齢的にギリギリだと考え決断しました。
たぶん体力的にも精神的にも、あと2年くらいは現役を続けることはできたと思います。でも自分がそれまで歩んできたキャリア以上のものが、2年先にあるとは思えなかった。それよりも次に進むことのほうに強い渇望がありましたね」

将来自分がどうありたいか――目標や目指すイメージがあれば、宮本さんのように、今どう時間を過ごすべきで、そのためにどんな決断を下すかが自ずと明確になる。
「FIFAマスターで学んだ時間は充実していたし、そこでの経験は視野が広がったという点でとにかく大きかったです。
いちばん大きいのは、それまでサッカーを選手の立場でしか見ていなかったわけですが、サッカーをもっと多角的に見るようになったこと。たとえば、観客の入りやそれに伴う収入などのマネジメント面、スタジアムの活用から放映権などのライツ問題、さらには選手のキャリアパスなど。現在は指導者としてより現場に近いところにいますが、この視点は今もありますし、それはFIFAマスターへ行かなければ得られなかったものです」
知らないことを知りたいという旺盛な好奇心もさることながら、学ぶことを厭わず、むしろ積極的に学び続ける。その飽くなき向上心を支えるものとは。
「この先に、また違う何かが見えたらおもしろいじゃないですか。年齢に関わらず、人は学び続けていくものだと思っています。
小学生の頃、当時70代だった祖父が赤線を引きながら熱心に本を読んでいたり、法学部出身だった父が会社勤めをしながら司法試験の勉強をしていたり……。そういった姿を間近で見ることで『学ぶことは、生涯ずっと続いていくものなんだな』という意識が、自然と自分の中に根付いたんじゃないかな。
今年はアウトプットが多すぎる1年でした。インプットが必要ですね」

![]()
「FIFAマスターでの最終研究で、仲間たちとあるテーマに取り組みました。
かつての紛争のために今も民族間の分断が残るボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという町に、子どもを対象としたサッカーアカデミーをつくり、スポーツの力で民族の融和を図り社会を変えることができるのではないかという仮説を立て検証しました」
修了後、実現に向けて「マリモスト」(“小さな橋”を意味する)というプロジェクトを立ち上げ、外務省やJICAなどからの支援を受けながら2016年10月、アカデミーの開校にこぎつけた。
現在もサポートスタッフの力を借り、クラウドファンディングやスポンサーを探して運営費を募るなどして活動は続く。(活動の様子はFacebookで更新中)
アカデミーには7歳から13歳まで60名の子どもたちがいて、週2回くらい活動しています。女の子も10人ほど。彼らは一度、日本にもやって来ました。
最近よく『ダイバーシティ(=多様性)』という言葉を耳にしますが、彼らが日常でさらされている民族の“多様性”、また日本というものすごく遠い国で見て感じた“多様性”。そうした多様性を受け入れる目をもつ子どもたちが少しでも増えることで、暮らす地域をよりよくしていってくれるのではないかという期待もあります。
本業のサッカーとは違いますが、スポーツを通して何かやれたらいいなという挑戦。僕にとっては、ライフワークでもあります」
FIFAマスターを修了した後、海外に留まりマネージメントの道に進む選択肢もあったはずだ。しかし、宮本さんは日本に戻り指導者としてのキャリアをスタートさせた。
「それ(海外に留まること)は、すごく考えましたし、今も思うところはあります。ただ、なかなか簡単なことではない。家族の問題もありますし」
当時の葛藤を反芻するかのように慎重に言葉をつなぐ。
「今この時間は監督という立場で経験を積みながら、その先はマネージメントサイドで自分がこれまで培ったものを発揮していきたいです。
この先、たとえば海外で仕事をするような可能性も視野にはあります。だからこそずっとずっとインプットし続けていたいんです。
ヨーロッパの試合なんかだと、ひとつのプレーでスタジアムの観客全員が一斉にバーンと立ち上がるような瞬間があるじゃないですか。サッカーで人の気持ちに強く訴えかける、心を揺さぶるような瞬間。それが僕のパッションですね。これを日本でもつくり出したい。
そのためには自分自身も素早く反応できないといけない。心のレスポンスの早さを失いたくないですね。
僕はサッカーが好きで、サッカーに育ててもらいました。これからもサッカーを軸としながら、重ねてきた時間を未来へと繋げて、日本でもっとサッカーを知ってもらう、より大きな存在になっていくよう貢献したいと思っています」

「時計は、優勝したりタイトルを獲得したりといった記念に買います。自分に対するご褒美ではないですが、後々改めて見ると当時を思い出したりできるので」
創造性溢れるデザインやテクノロジーへの飽くなき挑戦。今回着用したハミルトンは、1892年アメリカで創業しいつの時代もイノベーションを体現してきた。自由かつ革新的なブランドの精神に触れ、「いつまでも革新的でありたいですね」と宮本さんも共鳴する。